諸天守護(寒参詣体験談)

ありがとうございます。昨年の3月17日の日曜日に兄と一緒に八王子別院へお墓参りに行く車の中で、兄からおとといの夜、会社のゴミ箱で「ボヤ」騒ぎがあったと聞かされました。私は少し驚きましたが、ボヤ程度のことと、あまり深く考えずにいました。

翌日、いつもより早く会社に行くと事の大きさにとても驚きました。私の会社は1階が300坪の作業工場、二階は150坪の事務所で、社員は十数名の小さな建具店です。

私は2階で事務の仕事をしておりますが、事務所の扉を開けただけで、きな臭さを感じ、廊下も事務所もすべてススだらけだったのです。机の引き出しもススで手が黒くなりました。なぜ大事に至らなかったのかと、1階の作業工場に行ってみました。

作業工場には、木材を扱う木工部と金具類を扱うサッシ部の部屋があるのですが、サッシ部の部屋で作業をしていたから良かったのです。

家具の塗装作業を普段なら木工部でするのですが、その日に限ってサッシ部でしていたのです。塗装作業後にペンキやシンナーの染込んだ雑巾などをしっかり片づけることになっていますが、金曜日の作業は夜遅くまでかかったので、ゴミ箱に入れただけで帰ってしまったのです。その雑巾などが自然発火したのです。

16日の土曜日の朝、社員が出勤すると、火災報知器の音に気づき、慌てて工場に入るとその光景に驚いたそうです。工場全体が黒く、高い天井までススで黒くなっていたのです。燃えた場所は、ゴミ箱と作業台周辺だけで、他に燃え移らず、火が自然と消えたことに不思議だと言っていました。

もし木工部で起きていたらと思うとぞっとします。工場には御本尊様を奉安さえていただいております。御法様がお守り下さったに違いありません。小さな会社ですが、大切な会社です。火事で近所の方に迷惑をかけずに、会社も社員も無事で令和2年の新年を迎えることができましたのも、御法様のお陰です。報恩の御奉公に尚一層励ませていただきます。ありがとうございます。


夏期参詣御利益談

ありがとうございます。

今年二月の月初めに不動産屋さんから「三月七日までに部屋を立ち退いて下さい」と言われました。「仕事をしているので一ヵ月では無理です」と言いますと、「大家さんには昨年の九月に手紙を出しておいたのですが、何も聞いてませんか」と言われました。「何も知らされてません」と答えましたら、「それはお気の毒です、でも来年の三月までには立ち退いて下さい」とのことでした。

そこで真っ先に頭に浮かんだのが、新しく部屋が見つかってもお講席を受けられなくなるのではと心配になりました。今まで住んでいた所では、お講をお受けするたびに嫌な顔をされたり、大変な思いをしてきましたので、今度は悩まずにお講を受けさせて頂ける所が見つかります様にと御法様におすがりし、お看経をあげさせて頂きました。

しかし、中々思うような所が見つからず、日吉近辺をもう諦めていましたが、引っ越しの一週間前、別の小さな不動産屋さんで、私の希望する条件を言いますと、日吉駅から歩いて十分の所がありますと言われ、さっそく見に行きました。

ここならお講ができると思い借りることにしました。静かで環境が良かったのですが、あまりにも静かすぎてお講席が本当にお受けできるか不安になりました。
そうこうしている内に、二月の引っ越しの多い中、親切な引っ越し業者がみつかり、手早く引っ越しをして下さり、本当に助かりました。少し落ち着いた六月二十八日には、思い切って婦人会御講を受けさせて頂きました。

この度の引っ越しにあたり、沢山の人達が親切に良くして頂き、さらに当日はご信者さん達がお手伝いに来て下さり、大変有り難く、又良い所がみつかったね、と言われたのがとても嬉しかったです。

すべて御法様からのお計らいと感謝しきれないほど、とてもとても有り難かったです。この御礼はお教化しかありませんので、必ずお教化をさせていただくよう精進させて頂きます。(T.N)


家族でご信心

私は、本山宥清寺の青年会で活躍していた主人と結婚し、佛立信者となりました。三代目の主人と義母に御宝前のお給仕、朝夕のお看経、お寺参詣、お講参詣の大切さを学びました。

長男が生まれ本山にて初参りをし、朝夕のお看経で、御先祖様の追善回向、家内安全、身体健全、法灯相続の御祈願しておりました。四十五年に主人の転勤により、渋谷乗泉寺、光隆寺立川別院、また本山宥清寺と御奉公させていただきました。

その間たくさんの御利益を頂戴し、家族そろって元気で過ごせるのはご信心のお陰と随喜しております。この度小平市に永住することになり、新座別院にお世話になることになりました。開導聖人ご生誕二百年慶讃・佛立開花運動の中、ぜひこの期間中にお供え教化をさせていただこうと、主人と話し合いました。

そして息子に信心の大切なことを話しましたところ、心よく四代目の法灯を相続する意志を固めてくれました。本当に有難い思いで一杯です、

これからは、親子共々信行御奉公に勤めさせていただく所存でこざいます。

(涌出・平成29年夏期参詣より)


あたたかい親切心をいただいて

昨年の十二月、何かと忙しい毎日でした。年の変わる前にと、一人で父と母の眠る所沢へお墓参りに出かけました。お掃除を済ませて、気持ちよく所沢駅まで帰って参りました。駅のデパ地下で夕食の惣菜の買物をし、あれこれ沢山の荷物を手に持ちました。

やっとのことで駅の改札までやってきたのですが、いつも入れているポケットの中に、あるはずの赤いパスネットが見つかりません。どこで落としたのかと、色々考えましたが思い当たりません。仕方なく、その日は帰宅しました。

ところが、その翌日に所沢駅の案内所の方から電話がありました。どなたかが届けてくださったのです。早速、案内所へ伺い、届けていただいた方のお名前をお聞きしたのですが、分からないままでした。

日頃、別院の皆様に支えられて御奉公させていただいている私ですが、このような暖かい親切心をいただいて、大変うれしい気持ちになった一日でした。


息子の姿を見て法灯相続

先日、部内のご信者様からお電話がございました。受持のお講師から、私にご信心を法灯相続するようお話しがあったとのことです。

亡くなった両親から、父親が佛立宗のご信心を法灯相続してご信心をさせていだいておりました。七年前になりますが、法灯相続した父親が他界して、今年で七回忌をお迎えました。現在は、母が常講願主として御奉公させていただいております。

私は母親と一緒に住んでおり、七歳になる息子が居ります。息子は、家で御講が有る時は御宝前の前に座り、ご信者さんと一緒にお題目を唱え、お会式にはお寺にお参詣させていただいております。私自身は未熟のため、ご信心のことは特に教えることはしないのですが、先日、息子が一人で御宝前の前に座り手を合わせていたのです。何をしているのかと聞くと、今日有ったことを話していたんだと言いました。

息子が、何かは分からずとも御宝前に感謝をしていること、心を寄せることが出来ている姿を見て、私も母親が相続しているご信心を法灯相続しなければらないと感得いたしました。これも、父親の七回忌の年のご縁と思っています。

これからは、教化親である母親の姿を見て、御講師、また教区の皆様からもご信心の大切さを教えていただき、息子に法灯相続ができるよう、御奉公させていただきます。

御教歌

妻や子に信心をさへゆづりおかば たからをのこし置といふもの


寒参詣 信行体験談 「義母と主人がいただいた御利益」

平成25年10月2日、いつもの時間に起床し、まず義母のトイレの世話をしてすぐ身支度をし、主人は御宝前のお給仕に、私は朝食のお弁当の用意をいつものようにしていました。

5分位してから、主人が急に今日会社を休むと言ってきました。その訳は義母が8月中頃よりあまり食べ物を口にしなくなり、9月末には体調がすぐれず眠っている時間が多くなっていました。

今日は一日のんびりして、夕方涼しくなったら病院に連れて行こうと、話をして二人で朝の御看経をいただき、午前中の用事をすませて、11時少し前、夕食の買い物に行くために、義母のトイレの世話をしようとベットをのぞいたら義母の顔が火照っていて、口から茶色のよだれを出していて少し様子が、おかしいので訪問看護の方にすぐ来てもらうように、連絡をしていたその時です。

急に大きな息を二つ吐いたと思ったら眠るように、寂光参拝へと旅立っていきました。幸いなことに義母は息子の腕の中で、主人は自分の腕の中で自分の母を見送ることが出来たことだと思います。

いつもだったら、会社にいる時間ですので義母の臨終に立ち会うことが不可能だったのです。主治医からはおばあちゃんとても良い顔してるねと言ってくださいました。

これは、義母が元気な時に一生懸命に御信心に御奉公にと頑張っていたのと、義母の代わりに毎朝忙しい出勤前に御宝前のお給仕をしていた主人に、御法様より二人にくださった最高の御利益だと思います。そして義母にとっては御法様よりのご褒美だと思います。

これからも夫婦共々御信心御奉公に励んで参ります。ありがとうございます。杉本


寒参詣信行体験談 「言ってはいけない言葉」

ありがとうございます。今日は私の部の秋田さん御夫婦のお話と私が感じた「言ってはいけない」のではないかと思う言葉について聞いていただきたいと存じます。

部の秋田さんは長年、外国で単身赴任をなさり帰国した時は顔に湿疹ができ、日がたつにつれて、ひどくなり両ほほが赤くはれて、医者も方々に行きました。しかし、なかなか良くならず、どうしたら良いかとなやんでおりましたら、ふとしたことで良い医者を紹介され、なやんだ皮膚病が大変良くなってきました。

とても穏やかで優しい方で、御信心は奥さんで三代目ですが、甲乙の御講にも良く御奉公して下さり、良くなられたのも御奉公の賜物と思います。また奥さんはお母様からしっかり御信心の有難さを教えていただいたので今部長を受けて、良く行き届いた御奉公をされています。

先日転んで顔を打ち鼻や顎の骨は大丈夫かと心配していましたら、骨はどうもなく軽受のおはからいをいただきました。日ごろから素直な御信心のお陰と思います。

それから、私が感じた「言ってはいけない」のではないかと思い言葉のことですが、「無理も謗法」という言葉です。

信者にとってこんな都合の良い言葉はないと存じます。自分のなまけ心が無理も謗法という言葉によってなまける言い訳になると考えました。この御信心は日時や家事など多少の無理をしないと出来ないと思います。

私も麻布の時の2年間、泊まり込みの御奉公など、ずい分無理をした面もありますが、それを無理と感じた事はなく、その分御法様が見てて下さって、何かと助けて下さっていると思います。

無理にも限度がありますが、この言葉を聞くのが多い様に感じます。私は無理も謗法という言葉を封印し、御奉公に励みたいと存じます。ありがとうございます。

山本

御教歌 おこたりを人に見するもわろきをば かりすすむる よほど重罪

追伸:山本さんは麻布で2年間、泊まり込みの御奉公をされましたが、それは随喜の思いからだといいます。2歳の時、眉間のあたりをテーブルの角にぶつけて、その衝撃で目の前が真っ白になったといいます。

そして、まぶたを支える筋に異常をきたし、目を開けることができなくなってしまったのこと。2歳の時でしたが、その時のことをよく覚えているそうです。それから、親御さんに多くの病院に連れていかれましたが、医者からはこの子はあきらめた方がいいと言われたそうです。

その時になって、親御さんははじめて気づいたのです。御宝前にお任せしているのを忘れていたと…それから、麻布時代の乗泉寺に親子でお参りが続き、そして、なんと日歓上人のお膝の上で御題目をお唱えしていた所、目が開いたのです。

この時、4歳だったとのことです。その時の感謝の気持ち、少しでも恩返しにと御奉公に励まれているとのことです。

山本さんはいいます。いままで沢山の御利益をいただいてきた。真剣になってお願いをすれば、御宝前はちゃんと私たちのことを御覧になってくだされていますと…


寒参詣 信行体験談 「法灯相続の喜び」

ありがとうございます。娘達の法灯相続について、お話させていただきます。

以前より「子供たちが、ご信心が続けられるような方とご縁がありますように」と御祈願しておりました。昨年、娘2人が結婚し「御本尊と御尊像をお迎えしたい」「自分たちが育った環境のようにしていきたい」と相談されました。

1月に結婚した次女は婿さんに「家を守ってくれる大切な存在だから」と話し、御戒壇をお乗せする台を特別に注文して、5ヶ月待ち、婿さんも一緒に組み立てました。次女の婿さんは「存在感があるね」と驚いていたそうです。

10月に乗泉寺で結婚式を挙げた長女は、家をリフォームする際、御戒壇の場所を最初の設計時に決めるなど、御戒壇を中心とした新居を考えていました。長女の婿さんは「安心感がある」と感じたそうです。

娘たちは御戒壇を建立後「家の中の空気が変わった」と驚いていました。

私は生まれつきの信者で、ご信心中心の家庭で育ちました。祖父母・両親は御看経を常にしており、全てを御法様にお任せしていました。

「行ってきます」のご挨拶から始まり、日々の生活の中にご信心が溶け込んでいました。その環境が私の中にしみこんでいて、そのまま、子供たちに受け継がれていたのでだと思います。

昨年、受け持ちの御講師のお徳もいただいて、娘二人が結婚した年に、法灯相続できたという大きな御利益をいただけたことは、私にとって最高の喜びです。ありがとうございました。

伊東


寒参詣 体験談 「勤務地移動のお計らい」

昨年の2月、勤務先の社長から「東京のクリーニング工場が老朽化のため、9月いっぱいで閉鎖することにした」と社員に訓示がありました。

その勤務先は、私が昨年まで23年間勤務していた工場で、これまで時間が許す限り新座別院にお参詣していましたのでショックでした。

社長の話では代替え勤務地として群馬工場かつくば工場に社員は移動勤務になるとのことで、どちらの工場にしても自宅からの通勤は不可能で、これまで続けていたお寺参詣や御奉公も出来なくなると思うと、不安でいっぱいになりました。

このことを母に伝え相談しましたら、母は「全てを御宝前にお任せいたしましょう。あなたの日頃の行いはみんな御宝前が見てくださっているから、大丈夫よ」と励ましてくれました。

7月に人事部からの呼び出しで個人面談があり「あなたは商品発送・物流センターへ配属」と伝えられました。私は心の中で思わず「御法様、有り難うございます」と手を合わせていました。

と言いますのは、会社の物流センターは、自宅からの通勤で今までと変わらず、また新座別院にお参詣できる距離にありますので、仕事に行く前にお寺参詣が出来るからでした。

帰宅して、すぐに母に報告しましたら、母は「すごい御利益をいただいたね!」と大変喜んでくれ、早速、家の御宝前で御礼のお看経をさせていただきました。

今回の素晴らしい現証御利益に深く感謝させていただき、この有難さを忘れず、これからも仕事に行く前には必ずお寺にお参詣させていただこうと心に決め、秋から勤め始めた新しい職場に出かける前には、お参詣してから出かけるように励んでいる毎日を過ごしております。 

本当にありがとうございました。

竹内


寒参詣 信行体験談 「『まさか』の出来事が起きた時」

主人との結婚を機に、佛立宗とのご縁をいただきました。「願えば叶う」という御法門をきっかけに開門参詣、御法門聴聞が楽しみとなり、15年になります。いままで数多くの御利益を感得してまいりましが、本日はその中から二つほど発表させていただきます。

6年ほど前、私は持病の薬をとりに病院に行くと医者から「久しぶりなので検査をしましょう」といわれ、検査をすることになりました。

すると卵巣囊腫がみつかり、担当医から「あと数ミリ大きくなると癌になる可能性が高い。癌になった場合、転移を防ぐため広範囲を切除することになる。今のうちに手術したほうがよい」と言われました。また、こんなに早く発見できるのは「まれ」なことで「学会で発表させてください」とも言われました。

「まさか」のことでした。しかし、自分でも驚くほど落ち着いて病気のことを聞いていました。今までなら気が動転し、医者のいう通りにすぐ手術をしたと思いますが、開門参詣と御法門聴聞の功徳なのか、まさかの出来事が起きた時は「御法様に全てをお任せする」と教えていただいた、「有り難くも願えば叶う」と不思議と思えたのです。

担当医に「手術を3ヶ月、待ってください。その間にすることがあるので」と返事をしました。そんな時、受持ちの御講師から「7Bのあゆみ会対象者の家を一軒一軒、訪ねてみましょう」とのお話があり、あゆみ会会員と御講師と4人で地図を片手にお助行に歩きました。あっという間の3ヶ月でした。

そのあと、改めて病院で検査をしました。すると子宮嚢腫が跡形もなく消えていたのです。医者からは「不思議だ。何かしましたか?」と聞かれたので「実は毎日お寺にお参りして、お水を頂いて飲んでいます」と話ました。

医師は「そういう話は聞きますが、だけど、あなたのような状態で跡形もなく消えた人は初めてです。普通、跡ぐらいは残るものです。いったい何をしたのですか?」そう言って何度も首をかしげ画像写真を見ていました。医者が驚くような妙不可思議な御利益をいただきました。

2つ目は、昨年12月8日、自転車に乗り、停まっている工事車両の横を通り過ぎようとしたとき、ドアが急に開き、そのドアに激しくぶつかりました。自転車ごと宙に舞い、右肩から落ち私の自転車が倒れた私の身体の上に落ちてきました。

しかし、ダウンジャケットを着ていたこともあり、右肩は何ともありません。自転車が落ちてきた衝撃で、鎖骨と太ももを打撲しましたが、その程度で済みました。すぐに工事の人達が駆けつけてくれました。歩行もでき自転車も破損しなかったので、そのまま帰宅することができました。

帰宅してから思ったことは、道幅が狭く交通量が多い道なのに対向車が一台もなかったこと。この日に限って眼鏡を外していたこと。購入したばかりのスマホを専用のケースに入れていたので、破損しなかったこと。など「おはからい」が重なったと思いました。

交通事故に遭うのはこれで4回目。御信心をしてからは初めてでしたが、以前の時とは明らかに違いました。「御法様に助けていただいた。有り難い」という思いでいっぱいです。

この度のことで、やはり日常信行が、「まさか」の時に一番、役に立つ事なのだと感得させていただきました。

これからも怠りの誘惑にまけず信行御奉公に精進させていただきたいと思います。堀江

御教歌
怠らずつとむる口唱其しるし かならずことにふれてあらはる