慈聞抄

御教歌

仏前の 香花燈明(こうげとうみょう) ふき掃除

 すればわが身の 福徳と成(なる)

 

 お互い御同前の生活の中心は御宝前です。御宝前は、家の柱、身の柱、御宝前にお仕えさせていただくことにより、くずれない幸せを自分の身に感得できます。法華経の法師品には、花(け)、香(こう)、瓔珞(ようらく)、抹香(まっこう)、塗香(ずこう)など十種供養が説かれております。信心の基本は身口意の三業にわたり御宝前にお給仕させていただくことにあります。

 身の供養=御宝前のお給仕、お清めの御奉公、お祖師様のお住まいをつねにきれいにする。お初水をとり、お花をあげ、新鮮な食物をお供えしましょう。

 口の供養=御題目口唱、ご法味をおあげする。朝夕勤行怠らず、口唱の音声を絶やさない。御供水をいただきつつ口唱行にはげみ、口唱の味を体で憶えてください。

 意の供養=御法を敬う。供養、恭敬(くぎょう)、尊重(そんじゅう)、讃歎(さんたん)して、尊敬と感謝のこころをもっておつかえすること。

 また、亡くなった人の冥福を祈るときには、追善供養が大事です。ご冥福とはあの世へ行っても幸せになることを祈るという意味です。

 御宝前を中心としてお祖師様に喜んでいただこうと信心修行にはげみますと、福徳という果報を得ることができます。福徳には二つの意味がこめられております。

1・体のお計らいをいただく。たとえ体が弱いなら弱いなりに長く命を全うすることができます。御題目を全身で唱える。お寺参詣、お講参詣にはげみますと、経力で知らず量らずのうちに体が丈夫になってきます。妙の力によって駄目が駄目でなくなります。

2・御奉公が楽しく喜んでさせていただけ、億劫がらずに積極的に前向きに明るくなります。陽気に生きがいをもって毎日を暮らすことができます。御奉公という動きのなかに喜びが涌いてきます。一日に一回は親から頂いた二本の足を使ってお寺参詣にはげんでください。

 信心が研ぎ澄まされますと、目に見えないものが見えて来、今まで分からなかったことが分かってきます。信心の眼(まなこ)で見ますと、功徳を積むことの大切さ、と同時に罪障の恐ろしさを感得できるようになります。信者成佛、謗者堕獄という言葉の重みを実感できます。

信心は机の上、書物の中にはなく、一人一人の心の中に涌いてくるものです。書物もそれなりに信心増進には必要ですが、上手に活用をしてください。今は紙の洪水でして印刷物が多いですが、願わくば書物は紙の起爆剤となって、信智増進に役立てば結構です。なかでも御利益談を読み聞かせてください。

信心教育は一対一が原則です。一人一人に丁寧に、きめこまかく、親切心と思いやりといたわりの心をもって、時にはきびしく、育成にはげみましょう。時間がかかります。あわてず、あせらず、あてにせず、ということを心がけてください。

「故に信心は、机の上、書籍の中になし。唯(ただ)、人の心の中に起る信なれば、信の一時栓也と。」(小児含乳歌・扇全11巻235頁)

ところで、気象用語でいう「三寒四温」をもじって、「三感四恩」という言葉もあります。

「三感」とは感謝、感激、寛容。特に近頃は、ありがとうという感謝の心が薄らいできました。

「四恩」とは親の恩、師の恩、友人の恩、社会の恩。恩という字は因(もと)の心と書き、人間として基本的に守らねばならない大切な心です。恩とはめぐみということ。

今日生きているのも、多数の人々によって生かされて生きているという自覚を持つことが大切です。


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