協力の徳

「百喩経」というお経の中の話『悪い象に卵を踏みつぶされた雀は、啄木鳥(キツツキ)に訴えました。「どうか私のうらみをはらしてください」啄木鳥は「苦しむ友を見捨てぬのが真の友といわれているから力を貸そう」といって、蠅と蛙の協力を得て、悪い象の征伐にかかりました。弱い動物たちは相談し、蠅は象の耳に入り、啄木鳥は象の目をつきました。

盲目になった象に蛙は鳴き声を出して水のありかを示すようにして、深い穴へ導きました。悪い象はついに穴へ落ち込んでしまいました』ここには、弱者同士が自分の身を守るために、どう協力すれば勝つかそのやり方が説かれています。協力は弱者を強者にします。

昔から「三人寄れば文殊の知恵」ということわざがあります。愚か者でも三人集まって相談すれば、よい分別があるものという意味、文殊菩薩は仏教では知恵をつかさどる方です。

また、「膝とも談合」とよくいうでしょう。窮して相談相手のないときは、自分のひざでも相談相手にしろということですが、相談するに足りないと思う人にでも、相談すればしただけの御利益がある、協力で利口になるという意味。

佛立開導日扇聖人は、常講歎読滅罪抄に、信者堕獄の条々として、三つの項目をあげておられます。その一つに「異体同心と口にのみいひて、我慢強く同破のこと」という一項があります。

信者は異体同心の祖訓を奉じ、ご奉公すべしなどと、口では強調していても、我慢強くて協調精神がなく、同心を破るときは、信者でも堕獄の業をつくると、仰せられた御指南で、協力体制を破る人を厳しく戒めておられます。信者の協力は、ただ派閥を作ったり、徒党を組む世間の仲間意識で団結するのではなく、崇高な妙法弘通をめざしての協力関係ですから、これを破壊することの、恐ろしさをご指摘くだされたのです。

梅雨時の田園風景中、共同作業で田植えをしているのを見ると、人間の協力美を感じます。最も親密な両親とか兄弟が協力しないで困るなどという話を聞くと嫌な気持ちになります。当事者もさぞ不愉快なことでしょう。

ですから、、隣人との交わりも、勤務先、その他周囲との関係は、争わぬよう心がけ不愉快のたねを減少することが肝要です。世を恨み、人をとがめてばかりいる人は、周囲の人々との関係に配慮が不足で、協力から生ずる楽しみを知らないようです。

日頃相談し合ったり、力の貸し合いのできる人は、人間関係の調節が上手な人で、今日を愉快に暮らしているに相違ありません。気持がよければ、それが健康にも影響し、気持に余裕があれば勉強も楽しく進み、人にも親切になり、さらに愉快になること請けあいです。信者は信心生活で協力の徳を体得し、足並みそろえた楽しい日々を送ってほしいものです。

日晨聖人要語録より

 


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