功徳の花で身を飾る

御教歌:信心を すゝめんと思ふ こゝろこそ そこが功徳の わく処なれ

 (末代幼稚信要学・扇全12巻337頁)

 当宗の信心は御題目で人を助け、人の幸せを心から喜び合うことで、その意がたえず根底になければなりません。自唱他勧と申して、自分も唱えると同時に人にすすめる為の口唱、いわば、弘める為の口唱行です。

 ○「我本行菩薩道文菩薩道の御時が信行也。信行が菩薩行也」

 (末代幼稚信要学・扇全12巻336頁)

 信心の強弱をどこにおくかと申しましたら、功徳と罪障とをはっきりと峻別することができることにあります。功徳になることを考え出し、更にそれをおしすすめる時の喜びと楽しさを感得できる、これが信心の強さと申せます。一人一人に御題目の尊さを足を運んで自身と勇気と希望とをもって語りかける、これの繰り返しが菩薩道であり、功徳を生み出す源泉です。功徳というのは、教化折伏という下種の信行の中に、自ずから湧いてくるものです。

 当宗の信心修行は、給仕第一、信心第二、学問第三。これは単に順序をいうのではありません。まずお給仕が根本です。お給仕させていただくうちに信心がおこってきます。すると、その理論づけとして知識なり、知恵なりを求めようとします。給仕とはつかえることです。最初に御宝前につかえ、次に教務につかえ、更に同信の信者につかえる。何はともあれ、お寺の御宝前におつかえする。お寺参詣、これが基本中の基本です。特に朝参詣が大事。生涯参詣を心掛けましょう。お寺参詣をつづけていくうちに信心の芽がめばえ、弘通意欲がおこってきます。

 全人教育といって、人間全体が佛立菩薩に変わってこなければなりません。善聴参詣に励み、心の庭の手入れをして、心の雑草を抜き、美しい花を咲かせて下さい。「心に喜び、顔に笑い、かわす挨拶、ありがとうございます」という佛立信者の日常の生活態度を身につけましょう。人への思いやりやいたわり、優しさという崇高な心が生じてこなければなりません。

 「法は人によりて弘まる」と申します。法それ自体が自ずと弘まるのではなく、それを持っている人柄を通して法が弘まります。あの人のしている信心なら本物であり、困った時には必ず救って下さる、という期待と希望とをもって信心の門をたたきます。従って教化親の人柄が大きな要素と申せます。特に人徳が大事、たえず心を磨く、これは一生の課題です。まずはお寺の御宝前にお詣りして、身体の健康と心の掃除に専念して下さい。

 御教歌:あの人は 信者でありし ひとのため 手本となりて 名で教化せよ

 御講尊日晨上人からは計り知れない程の御慈教を賜りましたが、そのなかでも特に印象に残っていることを二つだけ述べさせていただきます。

 (一) 御弘通家でした。たえず法を弘めることを強調。現状維持は破壊に通ずと、問題意識を楽しんで明るく前向きの姿勢で教化に専念され、たえず厚い壁を乗り越えて前進また前進、終わりは次の始め、と停滞は許されませんでした。次から次へと新機軸を打ち出し、励まされました。休みなしです。

 (二) 分からせる努力を怠りませんでした。佛立宗の教えをかみくだいて、平易な言葉とやさしい文章で御教導下されたのです。あたたか味のこもった言葉使いとへり下った態度、特に信者の一人一人を大切にされ、「信者は宝物だよ」と申された言葉は今も強く印象に残っております。

 「人の苦を助けてたのしみとし給ふは菩薩の御心也。故にきゝてもたのしく、うれしきもの也。信者御利益談を喜ぶは菩薩也」 

 (開化要談・教、扇全14巻37頁)

 


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