姓名判断に迷うひとに

なんにも根拠のないことに、もっともらしい理由をつけて、人を迷わせることが、世の中には随分ありますから油断できません。姓名判断というものもその一つです。

仏立宗では、法華経本門の妙法五字の中に、仏の因行果徳、一切の修行の功徳ありという教えの一筋を守るのが信条です。姓名をかえる必要は全くありません。

一切法華経にその身を任せて、金言の如く修行すれば、さわりになるものは何もないのです。これを、お経文では、如風於空中・一切無障礙とのべられてあります。

以下、姓名をかえなければ、と迷う方のために、それがどんなに無意味なことか、いくつかの角度からのべてみましょう。

①お経文では、諸苦所因、貪欲為本といって、くるしみの原因はわれわれの、貪欲がもとです。姓名が悪いのではありません。

②姓名判断で、名前をかえても、戸籍名はかわりません。まぎらわしいことは却って、不幸の種となります。

③ペンネーム、愛称(ニックネーム)、為名などを使っても、その人の本質はかわりません。体質も、血液型も同じです。勿論、過去から今日まで積みかさねてきた「業」が消えるわけではありません。「旅人の日なたを踏む影みれば、前に後ろに、離れざりけり」との歌の如しです。

④世の中には、同姓、同名の人がかなりおります。みな、それぞれの運命に従っていくのみです。

⑤これから生まれてくる人のためには、教養ある先輩、又は、お寺のお導師にお願いして、つけて貰うのがよろしい。私は依頼されたら、お経文の中から、名前にふさわしい文字を選んでいる。ローマ字が重ならぬように、読み易い字を選ぶようにしている。
(乗泉寺通信48年8月号掲載)