朝型と夜型

手を取り合って

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受験生のある家庭や、学期毎の試験で徹夜する高校生をもつ家では、母親が、全く重労働に匹敵するほど苦労する。夜食の心配をしたり、火の仕末や戸締まりやらで、中々自分の時間が取れないらしい。


殊に、年寄りが同居している場合完全に、朝型と夜型が一軒の中に共存しなければならない。

広い住宅が東京ではなかなかのぞめないので、問題は深刻であろう。テレビなどを見て、夜遅くまで遊ぶなら話し合って改良すればいい。しかし、必要があって夜遅くなる場合、本当にその必要な宵張りを理解し、同情してやらぬと、問題はこじれる一方である。育ちざかりの子どものある場合、これも家庭内にある必要悪と認めて、割切るほかに道はないようだ。

この朝型と夜型の対立も、永久に続くものではない。特に人生のある一時期の現証と達観して、相手の立場を理解することから始めるのがよい。相手の立場が、よく解るようになれば、無理に先方を自分の方へ従わせようという気もなくなる。

一方的に、どちらかへ統一しようとすると必ず、不平や不満がおこる。従わなければ、腹が立つからだ。争いとなると、問題の焦点がそこにとどまらないで、他の問題にまで、争いが移動していく。だから、ともかく相手の立場を理解することから、更に一歩進んで尊重することが大事である。

人間は、それぞれの立場を尊重し合うようになると満足する。そこに、異質なものを認め合うようになる。となると、人間は万能ではないから異質なものを必要とするときが必ずある。その必要なときにお互いに必要なものを相互に求め合い、与え合うので、共存することができるのである。

ですから、相手の必要なものをお互いに大切に持つことが共存するための要諦であろう。


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