教育ということ

家庭の都合で、全く学校へ行けなかった人、小学を中退、退学した人々のため、大阪に、夜間中学がつくられたそうです。創設者の苦心談や、夜間中学で学んでいる人達のよろこびや、悲しい過去の体験などを、NHK の朝の放送で、見た人は、皆、感動させられたことと思います。
教室
こういう人々が、全国ではまだ140万人もあるそうですから、少しでも早く、もっと多くの人々が教育を受けられるようにしてあげたいものと切望したい。

ただ、この放送を見て私が感じた事は、教育という問題を、あらためて考えさせられたということです。

昼間は働きながら、夜間中学に通って学ぶ人々が、いかに真剣であるか、体験した人の語ることからも、十分想像されます。

黒板に走らせるチョークの音のみが、よくきこえ、教室では、息づまるような真剣勝負の緊迫した空気で、居眠りは誰一人しない、せき払いもしないという。これほど充実した教室は、親のすねをかじって、ぬくぬくとした環境で昼間学校へ通っている恵まれた人々には、一寸想像できないのではあるまいか。

勿論生徒ばかりでなく、教える先生の方も、真剣そのもので、解るまで丁寧に教えていく、つまり、教える側と教えられる側との呼吸が、ピッタリ一致したときに、教育の効果が、おどろくべきスピードで発揮される。

食欲のない人に、いくら物を食べさせようとしても、効果がない。と同様で、学ぶ意欲のないものにいくらやれといっても、全く教育効果があがらぬ。

教える側と、その態度が悪いと、ツイ教える意欲を失ってしまいます。勿論どちらかが一方的に悪いということは考えられません。相方ともに、通共の責任があるわけです。どうして意欲を起こさせるかは、教育にたずさわるものの心をひどくなやます、教育の根本問題だといえるでしょう。

昭和44年8月 乗泉寺通信


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