つかのまの生命

ちかごろは環境衛生がよくなったので、蚊や蠅が以前よりは、すくなくなったように思う。しかし、全くいないというわけではない。その反面、ごきぶりは、台所を主として、いたるところにふえているようだ。

これらは、人畜にたかって、その血を吸う。当然、伝染病を媒介する。人間にとって、まことに有害なむしけらである。血を吸う雌と、そうではない雄との見分けはつかぬので、蚊がとまればピシリとたたく。彼等にとっては致命的な一撃である。ほんの、つかのまの生命だ。

ふりあげた手をとめて、ほんの一瞬、これは雌か雄かと考えて、人間に無害な奴なら、たたくのをやめて、フッと吹きとばしてやろうかと思う。が、次の瞬間、心に何の痛みもおぼえぬまま、一打ちで蚊を打ち殺してしまう。人間の立場から考えれば、罪でもなんでもない極めて当然なことにちがいない。

しかし、蚊の立場になって考えてみると、一寸の虫にも五分の魂で、殺される方にとっては正に一大事にちがいない。人間が虫けらを一撃のもとに打ち殺すように、もっと大きなものから、人間が虫けら同様、一撃のもとに打ち殺されることはないのかと反問してみる。こう考えてくると、背筋が寒くなるような思いがした。人口の密集している大都会に、大震災がやってきたことを想像してごらんなさい。

つかのまの生命を、次の瞬間に一撃のもとにうばわれるとも知らず、吸血している蚊と、われわれ人間と何程のちがいがあるのだろうか。つかのまの生命だからこそ、貴重なりという自覚が生まれてくる。しかも、それは自分のものではなく、与えられている生命であること忘れてはならない。

昭和48年10月 乗泉寺通信


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