家族ぐるみで

家族ともどもにとか、家族全体でという意味で「家族ぐるみ」という言葉を用います。ことに信心は「家族ぐるみ」が理想ですから、参詣も、お看経も家族ぐるみでなさいませ……と、ご披露の際にはすすめるわけです。 

あるお寺では、信者ほ毎日一万べんのロ唱を家族ぐるみでしましょう……とすすめています。五人家族なら一人が二千べんずつロ唱をすれば、一日一万べんになるという計算だそうですが、何とかして「家族ぐるみ」の信心をさせ、口唱にはげむようにさせたいとの苦心の結果打ち出されたススメ方と想像されます。 

婦人の信者で、よくご奉公もし、お教化もする人が、家族に対しては朝夕の御宝前のおつとめもやかましくいわず、放任主義の人があります。はじめはキット、アノ手コノ手ですすめたのでしょうが、思うようにならない。強いていうと家族同士がにらみ合う形になりそうで、時期を待つより仕方がないと、折伏の矛をおさめ、せめて自分だけご奉公ができれば、ありがたいことだと観念して、家庭外でのご奉公に専念しているからでしょう。実際家族はニガ手な場合が多いものです。

なかには会社で、上役には必要以上にべコペコしているクセに、家庭では御宝前にお辞儀一つしないで、ふんぞりかえっている倣岸非礼な男性もないわけではありませんから、奥さんの心配もたいへんです。しかも、子どもが成長するときまりが悪いのか、増長して信心を軽しめるのか、母親に同調しないで、反抗的なのも相当おります。ですから家族ぐるみと口でいっても現実にはそう簡単にはまいらぬのが普通でしょう。 

この頃、特に気がつくのですが、正月元旦の神社仏閣の参詣者の増加です。日頃はぜんぜん神社など顧みない人が正月は出かけるのです。しかし、最初の一回はやっても、後ほ放ったらかしです。日常の勉強とか経験の積み重ねの大事なことを忘却していて、しかも横着なやり方で満足している人もいますから、形式的な家族ぐるみも警戒を要します。 

今度の日蓮大士ご隆誕七五〇年記念の報恩教化育成ご奉公を貫徹するには、家族の信心を自覚するのが第一歩と考え、教化誓願者増加運動の一環に、夫婦や親子が組んで一戸の教化誓願を立てるようすすめております。あるいは五人家族が連名で誓願者となるのもけっこうです。

要は家族をホッタラカシにせず、家族ぐるみで教化のご奉公に関心を持ってもらおうというのです。家族のことですから逃げもかくれもしませんから、落ち着いて無理強いしたりして摩擦を起こさぬように用心し、知恵をしぼり真剣にご祈願をして「家族ぐるみ」という、理想的な家族が増加するよう気張りましょう。

日晨上人要語録より


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