佛立信者の家庭に嫁いで

ありがとうございます。本日お参詣の皆様のように熱心なご信者とは言い難い私が、本日このような場で皆様にご披露させて頂くのは大変心苦しく、恐縮しております。私は、二〇〇七年に主人と結婚し、ご信心に触れるようになりました。主人の家は、祖母の代からのご信者で、主人は3代目(母方から数えると4代目)にあたり、生まれた時からご信心一筋です。 

一方、私は、特定の宗教をもたない家庭で育ちました。本日は、私がご信心を受け入れるようになっていった心境の変化を、皆様にお伝え出来ればと考えております。 

結婚するだいぶ以前になりますが、交際を始めて数カ月が経過した頃、主人より「自分には信仰している宗教があり、毎朝お寺にお参詣させて頂いている」といった話を聞きました。正直なところ、私は宗教に対してそんなに良いイメージは持っておらず、主人の話に「これはなんだか雲行きが良くないぞ?」と一抹の不安を抱きました。 

その後、主人より初めてお寺に連れて来て貰い、本堂で大勢の方が大きな声で「南無妙法蓮華経」とお唱えしている姿を拝見し、その一心不乱な様子に少なからず衝撃を受け、主人の信仰に対する私の不安は確信に変わりました。「別れるべきか、もう少し様子をみるべきか・・・」と思いましたが、主人やその家族は本当にとても良い方々で、ご信心が悪いものではないと感じたので、そのまま数年お付き合いを続けました。 

お付き合いする中で、徐々にご信心に対する抵抗は弱まってきましたが、結婚に踏み切るにはやはり大きなハードルでした。主人とは何度も話し、喧嘩も沢山しました。本山・宥清寺の本堂でプロポーズしてくれた際に、「南無妙法蓮華経って十回言って」と言われましたが、何かが心につかえ、一回も言えませんでした。主人の「すぐに信じなくてもいいよ。赤ちゃんに一から教えると思って少しずつ伝えていくから。」という主人の言葉を信じ、結婚を決めました。 

結婚してからは、熱心なご信者である主人に連れられてお会式にお参詣したり、お講に参加させて頂いたり、当時の住まいの近くにあった板橋・信泉寺に週末だけ朝参詣させて頂いたりしましたが、お寺に対するイメージはそんなに変わらなかったように思います。それでも主人は、ことあるごとに私をお寺へ連れて行き、「お寺に来れたからご褒美あげるね」とお菓子などをくれ、プロポーズの際の宣言通り、本当に赤ちゃんを手名付けるかのような行動をとり、私も段々それが微笑ましくなっていきました。 

マイナスからのスタートだった私の気持ちが少し肯定的になったのは、二〇〇八年の夏に乗泉寺で行われた「第二回青少年の一座」に参加した際です。当時、私はまだ「南無妙法蓮華経」と御題目をお唱えすることに大きな抵抗を感じており、一座に参加してはいてもただ座っているだけでした。 

終了後、境内に設置されていた「大切な人へのメッセージ」の中に、主人から私に対するメッセージを見つけました。そこには「いつもありがとう。これからもずっと仲良く、いつの日か一緒に寂光参拝がしたい。」という旨が記載されており、胸に迫るものがありました。

その後、徐々にではありますが、ご信心に対する不信感が消えていき、お寺にも少しずつ足が向かうようになりました。お参詣したり、お看経したりすると主人が喜んでくれる、褒めてくれるというのがあったからかもしれません。昨年の一月からは、自宅の近所にある大塚・遠妙寺へ毎日朝参詣を続け、いつのまにか日課になりました。自宅のご宝前では、朝夕のお看経が中々出来ていませんが、朝晩のご挨拶だけは必ずしています。ご挨拶を欠かすと、不吉なことが起こるかもしれないと感じますし、職場等で嫌なことがあった日でも一応ご挨拶はします。 

振り返りますと、私のご信心に対する気持ちが変わっていったのは、主人の見返りを求めない強いご信心があったからですが、それ以外にも、お寺の皆様が常に優しく接してくれたお蔭であると思っております。たまにお講に参加すると、第一ブロックのあゆみ会の皆様はとても歓迎して下さいましたし、他寺院でも温かい笑顔を下さいます。また。主人の両親は、ご信心に対し熱心ではない、ふがいない嫁である私に大変優しく接してくれ、いつも尊重して下さいます。 

主人や周りの皆様の期待に応えるようになれるかどうか、現時点ではわかりませんが、今後もゆっくり一歩一歩ご信心に触れていけたらと思っております。(あゆみ会 A.T)

開導会青年の一座より

 


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