長い目

現在、たいへんな苦しみを受けている人が、こんなツライ目に会うくらいなら、イッソ自殺した方がと滅入った考えばかりが出てきて、打開策を工夫する元気も出ず、自暴の状態に陥っているとします。苦悩が深刻だと無理からぬことですが、その突きつめた心から一歩退いて多少冷静さを取り戻してもらえると、昔からそれ以上の苦境から更生した人がたくさんあったことがわかるし、苦しみというものはいつまでも続くものでないことも悟れます。 

長い目で人生を見てさえもらえれば、死以外に途なしという絶望感からキット脱却できるのです。また、お金があるから幸福だとか、ないから不幸だとかいっても、長い目で見ると必ずしもそう断定できがたいもので、一時的現象を見ての判断は正確でないことが多いようです。善も悪も、幸不幸も、利口もばかも実際は死んでからでないと、本当のことはきめられぬもので、現在好調だからといい気になったり増長したりする。 

また、逆に不幸だからとむやみに悲観をするのは、共に短見者のすることで、長い目で見れば大河の流れの上に浮いたり消えたりする水泡のようなもので、それにとらわれて一喜一憂しすぎるのは、どうかと思います。それに昨日穏やかであった海が今日は怒涛に急変するというふうな環境の変化もありますから、鏡のような海面を舟歌楽しく進んでいるときは、得意満面で失意の人を冷笑したり、信心もへちまもあるものかくらいに気負っていても、いったん海が荒れ出すと、ビックリ仰天して苦しいときの神頼みで急に信心家になったりするものです。 

それでもそれがご縁で信心をホントに起こせる人は悪縁を善縁に転じ得たので結構ですが、喉元過ぎればまた信心のさめてしまう人は、年中同じ所を往きつ戻りつしている進歩のない人で、それでは一歩一歩とものを築き上げることはできません。 

したがって年中安定のない先ゆき不安の生活をしなければなりませんし、その日暮らしの軽薄な人間になります。それが長い目で物を見られる人は逆境に惑わず順境に奢らず中庸を得た暮らし方ができて、着々と腕もみがき、信用も増し、功徳も積めるというものです。

私どもの御本尊、久遠の本仏は、三世十方の諸仏の中で、一番古い、しかも常住不滅と法華経に説いてあります。その最古の仏で常住不滅ということは、一番長い目で人生の移り変わりをごらんになって、かくすればかくなるという因果の道を体得した最上のお方ということです。ですからその教えに信伏し、そのみ教えに従えば、私ども自身は、一寸先は闇の凡夫で長い目で人世を見る力がなくとも、大船に乗ったと同様、安心して可なりであります。 

日蓮聖人が「我れ日本の大船とならん」と仰せられたのは、そのみ教えを弘めるのでほとばしり出たお言葉です。ですから本門の御本尊に信伏し、日蓮聖人のみ教えを信じ持つ人こそ、真の幸福の途を行く人です。 

日晨上人要語録より


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