教育と教化

新芽の画像難しい哲学的解釈は専門の先生に聞くことにして頂いて、ごく通俗的に教育とは、人を教えて知識を開くことといってよいでしょう。英語では〝Education〟という語が、それに相当しています。序でにいうと、この語は、〝Educe〟という語とも密接な関係があります。〝Educe〟(潜在するもの)引き出す。という意味です。

元来、教育ということは、ソクラテスの用いた弁証術(これを産婆術という)をまつまでもなく、内在しているものに、刺戟を与えて、これを善導し、展開していくことと、広義に解釈してよろしいでしょう。次に教化とは、普通の字引には説法教導して衆生を善導に向かわせること(広辞苑)と述べてある。 

さらに、仏立宗の立場からいうと、われわれ衆生の心の内に内在している仏性を引き出す方法を教えて、即身成仏の利益を頂かせることといってよいでしょう。ですから教化というこよは、別の言葉でいうと、われわれ凡夫の仏性と、久遠の本仏の仏性と同質であることを教え、その仏性が妙法であることを教えるのです。 

このように、教育と教化ということを比較してみると、両者に共通していることは

○教育も、教化も、広義においては、内在しているものを、引き出す作用をもつものであるという点が一致しています。が、くわしくいうと教育の方は、知識を与えて、能力を引き出すことであり、教化の方は本仏仏性を心田に植えて、それを育てて行くことですから、教学的には大変な違いがあります。

 ですから、一言でも、妙法の信心を教えることは、一本の苗を植えることになるのですから、なるべく数多く、度々、教えて、苗を沢山植えて下さい。やがて、それらが実って、立派な教化育成が、できて完全教化となるのです。 

昭和49年12月 乗泉寺通信より


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