お助行をうける功徳

毎年受持講師として、御奉公方針をもべるが、その中の一つに全信者宅をお助行をしたいので、是非、一年に一度は、助行をうけて下さいとお願いすることにしている。 

役中や、お講願主はお助行をうけてくれるが、全信者の助行を完徹することがいまだかつて実現したことがない。これを大変残念に思っている。お勤めのために、教務員の希望する日時に都合がつかないというのが表面の理由である。けれど、受持教務員と、うける側に、やる意志がうまれたら、万障をくりあわせて実行することができるはずである。言うは易く、行うは難しというのは、全く助行についても言い得ることだ。 

それにもう一つ考えられることは、助行をうけるこたが大変な功徳になることを知らないので、積極的にうける努力をしないのではあるまいか。

勿論、助行にでかける方の功徳は、いうまでもない。と同時に、助行をうける側でも、それにまさるとも劣らぬ功徳になるのである。茶菓の接待や車代を全く必要としないので、ただお助行の道場として、ともに唱題に励み、信心増進を祈願していただくのみで、大きな功徳となるのである。 

日常、朝夕にお看経のできている家庭でも、第三者の助行をうけることにより、さらに、家運隆昌の祈願をして頂き、家内一同の信心増進を願うのであるから、家の中に一層あかるい、和らかな光輝るムードが一杯にあふれるのである。 

ともすれば、孤立化して、他とのまじわりあいに煩わされたくないという現代人の傾向に伝染しやすい。それが自然、お助行を拒否するという形になってきて、ひとり信心となり謗法の入るすきまをつくり出す結果となる。 

お互いに用心して、一年に一回は受持教務員の助行をうけて欲しい。 

昭和47年9月 乗泉寺通信より


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