果して夢のもてない社会か

溢れるばかりの若さに夢をのせて、たくましく前進しなければならぬ年代の人々の中に、ひねた、こまっちゃくれた若老人をみるのは実に淋しい。よくいえば、現実的な、しっかり者といわれるかもしれないが、どう考えても大成する器とはいえない。 

上役が一杯つかえていて何らの縁故も背景もない一サラリーマンには将来がなく、ただ食べてさえいれば上々なのだという。余りにも厳しい現実の社会が、これらの若人に夢をもたせないのである。その裏付けがなさすぎるのである。 

それも一つの実際の世間相であろう。然し、見方によればこの世の中は仏の慈愛がいたる所に満ちみちているのである。絶対の背景、うしろだてがある。手ずるがある。それを掴めばきっと夢が実現される。 

どんなに薄徳な不仕合せのものにも、無限の救済力を発揮する絶対の力がある。この一筋さえ貫けば、コネのない一介の若人にも、無限のみちが開かれる。日蓮聖人が生涯を堵して弘通された、本門八品の上行所伝の題目への信仰が、それである。この世の中には、若人の夢を否、すべての人の願いを実現させうる絶対の『唯有一乗法』が厳存しているのです。ただ多くの人々は、その方法を知らないで、失望しているにすぎない。 

その人が薄幸であれば、あるほど偉大な救済力が発揮され、仏の慈愛は強大となる。そんなすばらしい道がある。それが法華経本門八品の題目に具っていると、日蓮聖人が教示された。いくらでも夢をもち、それを実現させる方法があるとすれば、それを活用しないという手はない。私どもの日常生活の中から上手に夢を見つけだして、それを一つ一つ実現させて行こうではないか。 

昭和34年1月 乗泉寺通信より


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