法華経の不軽菩薩品に出てくる有名な一句に、杖木瓦石という言葉があります。申すまでもなく、不軽菩薩が合掌礼拝して、あなた方も菩薩行をなされば一人残らず成仏できますぞと、話しかけられたら、人々は不軽菩薩を愚者とあなどって、杖で打ちかかったり、瓦や石を投げつけたことは、余りにも有名な話で、ご信者なら大体はご存知のことでしょう。
不軽菩薩であったからこそ、そういう場合でも避走遠住といって、その投石の難を避けて遠くへ走り去り、しかも一層、心を込めた合掌礼拝行に専念できたのです。私共がもし、不軽菩薩の様な迫害を蒙ったら、とても避走遠住どころか、大喧嘩となるにちがいありません。あるいは逆に杖を奪って、向かってくる相手をたたきのめす結果となるかもしれません。
幸いにも現代の我々には、杖木瓦石の難を受けるようなことは、殆どありません。しかし言葉の上のやりとりは、昔よりも遙かに複雑な社会機構となっていますから、言葉の上の杖木瓦石は相当なものがある様です。
世俗の言葉に、”口から先に生まれた”という言葉があります。つまり、屁理屈が達者で、素直に聞いてくれないという意味でしょう。実際に返事に困るような難問を出されると、物質的な杖木瓦石こそ、飛んではこないが、剣を以て胸へ突き立てられるような思いがいたします。
言葉の上の暴力とも言うべき理屈を、どんどん投げつけられたら不軽菩薩の杖木瓦石と同じ難と考えてよいでしょう。
ともあれ、この杖木瓦石に匹敵する、言葉の上の暴力をうまくかわして、切り抜ける稽古が大事です。この杖木瓦石ー言葉の暴力が、我々をまちうけていることを忘れないでください。
昭和46年発行 「乗泉寺通信」より