開導会での御利益談発表②

ありがとうございます。

本日、開導会第四座において発表される予定の体験談を、以下に紹介致します。

「ご信心をさせて頂いて」

ありがとうございます。私は、祖母の葬儀を契機に入信をした母親の勧めもあり、平成17年に入信致しました。今年でまだ6年目の信者ですが、入信当初は、彿立宗で使われている言葉の全てが分からない状態でした。

その中でも特によく分からなかったのが、お寺でよく耳にする「ありがとうございます。」という挨拶です。最初は、「一体、何がありがとうなんだろう。」と全く分かりませんでしたが、ご信心が徐々に深まるにつれ、この「ありがとうございます。」という謙虚で素直な姿勢により、本当に数々のお計らいを頂戴出来るのだと実感しております。

川口御導師は、常々「人生は、上り坂、下り坂まさかの連続」だと仰せです。自分が待ち望んでいたこと、もしくは、自分にとって何か良いことが起きて、それを「お計らい」、「御利益」と呼ぶことは簡単かもしれません。しかしながら、本当の意味でそあ人の真価が問われるのは、非常に困難な事態が起きた時、それでもなお、その現実を素直に受け止め、自分にとって前向きな価値や意味を見出して行くことではないかと思います。

私も入信以来、非常に困難で苦しい決断を迫られたことが何度かありました。人は、人生の下り坂・まさかの出来事に直面をすると、本当に辛く、ややもすると、愚痴を吐いたり、誰かを責め立てたくもなります。しかし、そんな出来事に直面をした時であっても、不平や不満を言わず、「これも自分にとって必ず意味があることなのだ。」と真筆に受け止め、どんな時でも、素直に御法様にお任せをするご信者としての在り方こそ、ご信心の本当の価値を分からせて頂くことが出来るのではないかと思いました。

入信してから6年が経ち、私自身もようやく自分の周りの人々にご信心をお勧めするようになりました。確かに今は、本当に小さなステップかも知れません。例えば友達との待ち合わせ場所として立地条件の良い乗泉寺を選んだり、知人との会話の中で「自分はお寺に行っているけれど、」と付け足すだけで終わることも数多くあります。ただ、こうした数多くの積み重ねの中で、少しずつ気付かせて頂けることがありました。

自分がこのご信心を本当に大切だと思うのであれば、その想いをどうにかして周りの人に伝えていこうと思うのは当たり前だと思います。そして、人に自分の想いを伝える為には、ただ単に自己完結型の熱い思いあれば、良いというものではなく、先ずは、その言動に一貫性がないと、他人からの信頼は得られないでしょう。

また、私の話を本当に聴いて欲しいと思うのであれば、先ずはその人の言葉を全て受け入れ、寄り添う優しさも必要です。そのような意味で、御題目を大切な人にお伝えする御弘通御奉公は、巡り巡って自分自身を高めて行くことにも繋がるように思います。

今後も、様々なことに直面すると思いますが、ご信心を通して、自分自身を磨き、又ご信心によって一人でも多くの方の悩みや不安に耳を傾けて行けるようにもなりたいと思います。(A.T)


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