人を助けることーそれが信心ー

Sさんはまだ新しいが、極めて熱心なご信者である。それは、昨年のことであった。Sさんの勤め先の番頭の子供が日本脳炎になった。連日のように犠牲者が出て、やがて、番頭の子も、その一人になるのではないかと危ぶまれた。他人の子でも、この有様をじっと見ているに忍びなくなったSさんは、お教化をするつもりで、先ず、一心にお寺で御祈願を始めた。勿論、当人も、その親も、そんなことは夢にも知らない。 

然しSさんとしては、バタバタ死んでいくのをみていると、ゆっくりお教化をしてから、御祈願をしようという猶予もないと見てとって、ともかく、真剣に、その子供を助けたい一心でお願いをしたのだ。今にも溺れようとしているものには、何よりも助けてやるという直接行動が第一であるように、教化してからなどというと間に合わないのである。 

この慈悲、この菩薩心が遂に、人の一命を救うことができたのは申すまでもありません。Sさんがお寺でお願いをした、その日の午後から不思議に当人は危機を脱して治癒したのです。 

これには、いろいろの後日談がありますが、誰よりも驚いたのはSさん自身でした。人を助けるためにお願いすることが、こんなにも、あらたかな現証があらわれるものとは、ついぞ考えてもみなかった。私は、これですっかり、自分の信心が増進し、お肚の底から、自信が涌いてくる感じで、うれしくてたまりませんでしたと述懐されていました。 

ここに信心の筋があるようです。信心とは、自分のことをお願いするのではなく、人を助けることの中に、自分のことがおのづからよくなってくる。そこを、信じることが信心ではあるまいか。いくらお金や、地位があっても、自分のことだけに汲々たる人は、所詮貧しいというより外はないのである。 

昭和34年2月発行 乗泉寺通信より


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