憂晴(うさばらし)ーあなたはどんな方法でー

一生のあいだには、いろいろなことに出会います。面白いことばかりでなく、心配事や、苦しい思いをすることが次々とやってきます、そういうとき、あなたは、どんな方法で、気をとり直していますか。気ばらしの方法を一、二心得ておくことが大事です。

御信心しない人ならその憂晴らしの方法が大体きまっています。たとえば、第一にある例では、お酒で、憂晴らしをしようとする場合です。民謡の一つに「酒は涙か溜息かこころのうさの捨てどころ」というような文句があります。然しお酒も、そのあとが一層淋しくせつなくなるもので、本当の解決方法ではないようです。

次に考えられるのは今は、法律で禁じられていますが昔は「公用のうさばらし、けいせい狂に来りしなど云々」と記録にあるように、公然とみとめられていたようです。これも、うさばらしどころか、下手すると、とんだ悲劇の種となり危険な方法です。

昨今では、旅に出る、これが相当、流行しているようです。然しこれも、経済的にめぐまれた人か或は限られた人々にしか許されない方法です。その外に、好きな音楽や、趣味に打込む。それも、一方法ですが、やっぱり、刹那的な忘却法ですから、根本的には、うさの解決方法にはなりません。

御信者として最上のうさを晴らす方法は、お看経が第一です。その時はつらいようでも、御看経の中に没入して、無味口唱するところに、自然と、心の眼が開けてきて、物事に対し冷静な判断が生れてきて、今迄、心配してきたことや、苦しんできたことが、実に幼稚なことに思われてきます。本当の解決は口唱の中から生まれてきます。憂きことと正々堂々と握手してごらんなさい。

昭和37年7月発行 乗泉寺通信より


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