彼岸入り

本日は春の彼岸入りです。この時期には、お墓参りをなされる方が多く見受けられ、ご先祖や有縁の方々を思いやるお姿は、とても尊く暖かいものを感じます。

しかしながら、そうした供養がはたして本当に亡き諸精霊に届いているかということも考える必要がありそうです。

日蓮聖人は「今末法に入りぬれば余経も法華経も詮なし。但南無妙法蓮華経なるべし」とお示しで、仏様が御入滅なされてから二千年以上経過した、いま末法という時代においての御回向は、上行所伝の御題目の御経力によってさせていただくことが大事とお教えです。

仏教では魂は永遠に生き続けるといいますが、私たちの誰もが諸霊魂に生き続けてほしいと願っているものです。そして、亡き諸精霊に私たちの思いを届けたい、亡くなった方の苦しみを取り除いてあげたい、それがご回向の精神であるならば、諸精霊のもとへ、間違いなく届くものである方がよいに決まっています。

開導聖人御在世当時に次にような霊験談が示されております。ご信者の春木作の枕元に、知り合いの虎という女性の霊が枕元に立ったといいます。虎の四十九日の忌日の夜のことでした。虎は作に向かって、息子が呼んだお寺の御経で回向してもらったとたん、真暗闇につき落とされた。なにとぞ御題目でご回向してもらいたい、と切に願うのでした。

翌朝、作は虎の息子の留吉の元へ走り、昨夜のことを話すと、留吉の枕元にも三度立ったけれども、どうにもできず、なおざりにしていたとのこと。即入信し、御題目でご回向させていただくと、その夜、留吉の枕元に立ったのは笑顔で礼を言う母の姿だった。という霊験談でございます。

先祖を思いやる心があればいい、御経を読んでもらえばそれでいい、と考えがちですが同じ回向の志があっても回向の方法がちがえば、そこには天と地ほどの力の差というものがあるのです。

病を治していただく場合でもそうですが、こちら側の勝手な判断で病を克服することはできません。やはり医師の指導に従う方がいいわけですし、また正しい医療を求める方がよいはずです。

まことの回向とはなんたるかをお互いに見つめ直させていただきましょう。


どんな時でもあきらめず

Sさんは今年93歳になられますが、お寺参詣を楽しみにされ、木曜日の午後には自主的に教化成就のための祈願口唱を、本堂で一時間なさいます。

また帰りには霊堂のお掃除をされ、ご自宅の御宝前のお給仕も欠かすことがなく、八十代のご家内とともに、ご夫婦でご信心に励まれています。

そんなSさんですが、昨年九月に腎盂炎を患い、また十一月には肺炎と診断され、高齢でもあることから医師には「親戚を集めて最後のお別れをするように」と宣告されました。

しかしその月に予定していたご自宅での甲お講を何としても奉修したいとの思いから、病室の棚の引き出しに懐中御本尊をお伴し、ベットの上でお看経に励まれたのです。

そうしましたら、入院一週間目には真っ白になっていた肺がもとどおりになり、甲御講もご家内や部内のご信者の協力を得て、見事に努めることが出来ました。

またSさんはこのほかにも還付金詐欺の被害から身を逃れるなど、多くのご利益をいただかれました。日頃ご法門で聴聞する通り、教化の願いを前面に出し、どんな時でも前向きにあきらめないSさんのご信心前が身を結んだものと感得いたしました。

私たちは少し具合が悪くなると、すぐ「もうここまでだ」と自分を抑えてしまう悪い癖があります。しかしどんな状況でも御利益がいただけるよう、仏様がのこしてくださったのが上行所伝の御題目なのですから、今以上に丁寧にまた明るい気持ちでお看経に励もうと、改めて思いました。


Gohomon words

24. Ojyogyo

  The Buddhism preaches “four sufferings and eight pains”. We’re doomed to face four sufferings of birth, aging, illness and death. Ojyogyo is chanting the Odaimoku to help people suffering. For instance, the Ojyogyo has cured a lot of people of their intractable diseases our modern medical science can’t deal with.

 仏教には「四苦八苦」が説かれており、私達は、生・老・病・死の四つの苦しみから逃れる事は出来ません。お助行は悩み苦しむ人々を救う為に、御題目を口唱する事です。例えば、現代医学ではどうする事も出来ない難病を抱える多くの人がお助行によって救われています。

*1. Ojyogyo: お助行

*2. four sufferings and eight pains: 四苦八苦

*3. birth, aging, illness and death: 生・老・病・死

尚、上記には私見が含まれています。


Gohomon words

23. Oko

  We regularly chant the Odaimoku and listen to a Gohomon with other practitioners at home (Oko). The Oko is also called “a training hall for spreading the Odaimoku”. Conversations about benefits, practices and more are exchanged after the Oko. In addition to chanting in this temple, the Oko is also important for brushing up our minds and accumulating merits.

  「御講」と言って、定期的に私達はご信者宅にて御題目をお唱えし、御法門を聴聞させていただいています。御講は別名「御弘通の道場」とも呼ばれ、御講の終了後には、御利益、信心修行などについて話し合います。お寺参詣に加え、御講参詣もまた、心を磨き、功徳を積む為の大切な機会です。

*1. Oko: 御講

尚、上記には私見が含まれています。


Gohomon words

22. united in minds, while separated in bodies

  We can’t receive manifested benefits through practicing alone. Being different from each other, we can solidly be united and support each other. Needless to say, cooperativeness among the practitioners is indispensable. In this Josenji temple, all of us are daily chanting the Odaimoku for accumulating the merits together.

  一人信心では現証御利益の感得は適いません。身体は異なれど、私達はしっかり心を一つにして支え合う事が出来るのです。ご信者同士の協調性が大切なのは言うまでもありません。乗泉寺では、皆が功徳を積ませていただける様、供に御題目をお唱えしています。

*1. united in minds, while separated in bodies: 異体同心

尚、上記には私見が含まれています。


Gohomon words

21. correspondence between the Buddha and our minds

  Chanting the Odaimoku whole-heartedly is of great importance for realizing the correspondence between the Buddha and our minds and receiving many manifested benefits. However, if we’re chanting the Odaimoku absent-mindedly or chanting while sleeping, the benefits will naturally be minimized. The Buddha is seeing into our minds all the time.

  真剣に御題目口唱に励む事が大切で、真剣な御題目口唱によって仏さまと私達の心とが感応道交し、数多くの現証御利益をいただく事が出来ます。しかしながら、居眠りやいい加減な口唱では、当然ながら御利益の感得は適いません。仏さまは常に私達の心の中を御照覧なのです。

*1. correspondence between the Buddha and our minds: 感応道交

*2. manifested benefit: 現証御利益

尚、上記には私見が含まれています。


Gohomon words

20. saha world

  A place we’re living is called “saha world”, which is full of conflicts. In this saha world, we’re living our lives as if walking in the darkness. “The future is a closed book”. However, chanting the Odaimoku illuminates the darkness, ensuring protections by the guardian kings of heaven both night and day.

 私達が住んでいるこの場所は「娑婆世界」と呼ばれ、争い事や危険が絶えません。この娑婆世界における私達の人生は、先の見えない闇の中を手探りで進む様なものです。まさに一寸先は闇の世界です。ところが、御題目をお唱えすれば、その御経力によって闇は照らし出され、昼夜を問わず諸天の御守りをいただく事が出来るのです。

*1. saha world: 娑婆世界、私達が住んでいるこの世界

*2. guardian kings of heaven: 諸天善神

尚、上記には私見が含まれています。


際の日

御教歌
きはの日は うちをお寺へ ぬけまいり
娑婆の金にて ゆるされもせず

先日、寒参詣で御法門を説かせていただいたのですが、自身にとって耳が痛い御教歌でした。大まかに現代語訳すると、際の日、つまり年末などの決算期の「忙しい時期」でも、家を抜け出してお寺へ参詣する人がいる、お寺参詣の功徳というものは世間のお金では許されはしないのだから、という意味となります。

自身にも大いに刺さる御教歌で、年末年始や行事で色々忙しい時期、お看経の時間が少なくなってしまっている時がありました。そんな時にこの御教歌を勉強するご縁をいただき、自身への折伏も含めての拝読になったと思います。

「忙しいからしょうがない」「時間が出来たときに頑張る」そう言ってお看経を後回しにしては、それはつまり御法様を後回しにしていること、これではご信心をしているとは言えず、御利益を頂けるはずもありません。


忙しいとき、大変な時こそ本日の御教歌を思い出して、お計らいがいただけるようにお看経に励まなければと気づかされました。


水の流れと身の行方

「水の流れと身の行方」とのことわざがあります。

水の流れも人の行く末のどちらも、先が分からないことのたとえだそうです。

私たちお互いは、一寸先が闇の世に暮らしていますから、明日はどうなるか分かりません。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、分からない明日のために、いろいろな努力をしましても、そこには限界があるものです。

特に、今生の一生を終えた後、先の世のことなど、私たちには計り知れないものです。

ご信心を第一に毎日を過ごして参りますと、見えない明日が見えて参ります。御法様のお力が、目には見えなくても、お計らいとして必ず実感することができます。

まずは、その日一日の中で、口唱信行を実践させていただきましょう。

御教歌

「しれてあることのやうにてしられぬは 

            水のながれと人のゆくすゑ」


Gohomon words

19. guardian kings of heaven

  The guardian kings of heaven include Bonten, Taishakuten, Shitenno, Kishibojin and others. For instance, Kishibojin previously abducted and ate other children. However, Kishibojin changed her mind and took refuge in the Lotus Sutra after the Buddha had admonished her. In the Lotus Sutra, the guardian kings of heaven have pledged to protect practitioners eagerly chanting the Odaimoku.

  諸天善神には梵天、帝釈天、四天王、鬼子母神などが含まれます。例えば、かつて鬼子母神は他人の子供をさらい食していました。ところが、仏さまのお折伏によって鬼子母神は気持ちを入れ替え、法華経に帰依する事になりました。法華経の中で、諸天善神は真剣に御題目口唱に励む行者を守護する事を誓願しています。

*1. guardian kings of heaven: 諸天善神

*2. admonish: 折伏する

尚、上記には私見が含まれています。


Gohomon words

18. Buddha’s nature

  In fact, all of us have Buddha’s nature. Some people misunderstand that they can awaken their Buddha’s nature by meditating. But common people in this Mappo period don’t have any capabilities for meditating. Chanting the Odaimoku can awake our own Buddha’s nature, resulting in attaining Buddhahood.

 事実、私達の心の中には仏性が宿っています。瞑想修行によって仏性を目覚めさせる事が出来るという誤った考えを持っている人もいます。しかしながら、末法時代の私達は瞑想を行じるだけの機根を持ち合わせていません。この末法時代においては、御題目をお唱えし、私達の心の中にある仏性を目覚めさせる事によってのみ成仏が適うのです。

*1. Buddha’s nature: 仏性

*2. common people: 凡夫

*3. capability: 機根、仏道を行じる能力

*4. attaining Buddhahood: 成仏

尚、上記には私見が含まれています。


よい事をしても

懺悔(さんげ)とは、自分の罪を自覚し、それを悔い改める行いのことです。ですから、自分自身の過ちに気づくことが懺悔の大前提になるのですが、しかし、自分では悪いと思っていなくても懺悔することが大事と御信心では教わります。

とかく私達は、自分ほど正しい人間はいないと思っているもので、さらに、自分がよいことをしたと思っていると、ますます我見というものが強くなってしまうものです。

そして、何か人に言われようものなら、怒りの心を露わにして他ばかりを責めたり、自分は間違っていないと変に頑固になってしまう所があるものです。

よかれと思ってやったことを、相手から否定されるとつい頭にきてしまいますよね。それでは、なんだか勿体ない気がするのです。

そこで良いことをしたと思っても、自分を褒め称える気持ちの裏側に、もしかしたら、自分の思い上がりだったかも、とか、相手にとっては迷惑だったかもとのお懺悔の心も用意しておくと、変に嫌な気分だけにはならないものです。

〽よい事をして懺悔をばしたるかな 今は心にくるしみもなし


信心を起こす

私たちの信仰では、教えどおりに御題目をお唱えしますと、必ず現証御利益がいただけるものです。

この現証御利益は、御題目のお力である「経力」と、仏様の大きなお慈悲の「仏力」、私たちの信じる力の「信力」が合わさった時に頂けるのです。

ちょうど、崖の上から仏様が御題目というロープを下界の私たちに下げてくださり、私たちを助けようとされているようなものなのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ところが、私たちは浅はかな知恵で、「このロープは大丈夫だろうか?」「引っ張ってくれる人の力は大丈夫か?」と疑ってしまうのです。

この疑いの心が御利益感得の邪魔をして参ります。

疑いの心を無くすためにはどうすればよいのか?

それは、心の如何にかかわらず、口唱、参詣、御奉公を実践することであると、十五世日晨上人は仰せです。

半信半疑でも実践をして、御奉公を続けていきますと、必ず御利益が頂けて、有り難さを実感することができます。

心であれこれ考えても、中々前に進めることはありません。どうぞ、一緒に信心修行をさせていただき、幸せの一歩を踏み出しましょう。

開導聖人御教歌

「うたがひのつみはほろびて信心の おこる所を御利益としれ」


Gohomon words

17. Bodhisattva practicing

  In addition to chanting the Odaimoku, we’re stressing “the Bodhisattva practicing” as well. A lot of people are suffering from business, human relations, illnesses, natural disasters and others in this modern society. The Bodhisattva practicing is recommending chanting the Odaimoku to such people. We can also accumulate the merits while helping others through the Bodhisattva practicing.

  御題目口唱に加え、私達は「菩薩行」を重視しています。この現代社会では、多くの人が仕事、人間関係、病気、自然災害などに悩み苦しんでいます。菩薩行とは、そうした人々に御題目口唱をお勧めする修行です。菩薩行を通じて他の人を救う事で、私達もまた、その功徳をいただく事が出来るのです。

*1. Bodhisattva practicing: 菩薩行

尚、上記には私見が含まれています。


油断大敵

開導聖人御教歌

「手習は坂に車をおす如く​ 油断をすればあともどりする」

近頃は、御講席にも手押し車を使ってお参詣される方が多くなりました。

けれども、この車を押しながら坂道を上っていく時、うっかり油断して力をゆるめてしまったら、後ろへずるずる後退していってしまいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

御教歌上の句に示されている「手習い」すなわち書道にもこれと同じようなところがあり、油断をして普段の練習を怠っていると、上手く書けなくなってしまうこともあります。​

信心修行も同様で、日頃の口唱信行を怠っていると、功徳を積むことはできません。
何ごとにおいても、油断の無きよう精進させていただきましょう。