お花の名前

今、私は御宝前のお花を生ける御奉公をさせていただいております。時には花屋さんも一緒に生けてくださるのですが、たまたまその時覚えていた花の名前を出して

グロリオサ「グロリオサから入れた方が良いでしょうか?」
と花屋さんに質問したところ
「お花の名前を覚えてくれているのですね
嬉しいです」
という返事がありました。

そういえば普段は
「そこの赤い花から生けよう、黄色いのは後で生けてみよう」
といったように、お花を色で言っておりました。
考えてみれば今御宝前用に用意されているお花すべての名前を言えるかと思うと、1つ2つ言えない花がありました。

これはいけない、御宝前に生ける花が、どんな名前でどんな性質なのかを少し知っておかなくてはと思い、それ以降少し調べてみました。

代表的なユリの花、そして様々な色を持つ菊の花、鮮やかな赤い花を咲かせるグロリオサ、黄色い花を咲かせるオンシジウム、とても華やかなストレリチア(極楽鳥花)、可憐な花を咲かせるカーネーションなどなど、また調べると球根には実は毒があるというものもありました。

世界の色々な場所で咲いている花を組み合わせて御宝前を荘厳にさせていただく大事なお花の御奉公、皆さまもお花屋さんで少しお花の名前、どこで咲いている花なのかを聞いてみては如何でしょうか。

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強い人間(心)とは何か

「強い人間」とは、一般的には丈夫な身体を持ち、何事にも負けない精神力の持ち主を言うのでしょうか。ここで紹介する人は、そんな強い肉体を持ち何事にも負けない人ではありません。感謝の念が強く、今日一日を精一杯生きる一人の女性です。

ある新聞に掲載されていました、盲目の女性(Aさん)の話を紹介します。

Aさんは生まれてすぐ、目の病を患い視力を失いました。母親からは「何でこんな子を産んだのか」と言われたそうです。自分で命を絶とうと何度も考えたそうです。

そんなとき、寝たきりの病を患っている方と出会います。その方との出会いによって、「私には立派な手足があるじゃないか」と思い、前向きに生きようと思いを新たにされました。

それからAさんは、積極的に外に向かって、視力を失った子供さんを抱える親御さんに対して、「子どもの純粋な心を伸ばして欲しい」と訴えていかれました。

Aさんは、手足が不自由な方との出会いで、自分には自由に動かせる手足があると感じ、自分に出来ることが必ずあるんだと感じ取ったのです。

「人の目が気になる」「友達が出来ない」「容姿が悪い」等々、いろんな人生問題を抱えているお方が多い最近の世の中ですが、視点、思い方を少し変えることで、人生が大きく変わるのです。是非おすすめします。

佛立信心は、そういった面で、おおいにお役に立ちます。お題目をお唱えさせていただいて、心の奥に眠っている仏の心を呼び起こして下さい。あなたにとって大きな転換を迎えることでしょう。

佛立開導日扇聖人の教え歌に
「おのが身にある宝をばしるときは よそにもとむるわずらいもなし」
と教えていただいております。

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慈悲

私たちはご信心をさせていただいて、いつも慈悲の心を持つことの大切さを教わっています。

お教化やお助行などの菩薩行は慈悲の心に基づく実践方法なのですが、それでは慈悲の心とはいったいどんな心なのでしょうか。

お釈迦さまは
「いかなる生物生類であっても、
怯えているものでも
強豪なものでも、悉く、
長いものでも、大きなものでも、
中くらいのものでも、短いものでも、
微細なものでも、粗大なものでも、
目に見えるものでも、見えないものでも、
遠くに住むものでも、近くに住むものでも、すでに生まれたものでも、
これから生まれようと欲するものでも、
一切の生きとし生けるものは、幸せであれ」
「スッタニパータ」(ブッダのことば)より

と仰せになっておられます。

慈悲の慈とは「友情」「好意」という意味で、悲は「同情」「あわれみ」を表わす言葉です。

父や母、兄弟、姉妹、子供など自分の血の繋がった家族や、ほんとうに仲の良い友だちを大切に思うように、そういった身のまわりの大事な人を思う気持ちを、誰にでも同じようにふり向けることがほんとうの慈悲の心なのです。

私どもがさせていただく、お教化やお助行の御奉公も、言われたから形式的にやるというのでは、慈悲の心である菩薩行とはなりません。

「一切の生きとし生けるものは、幸せであれ」

釈尊のみ教えをいただく私どもはこういった思いをもてるよう、ご信心をさせていただくことが大切です。

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心のゆとり

昨日、乗泉寺の高祖会も無事に奉修され、今年の主な寺内行事が終わって、とりあえずホッと一息ついています。とはいっても、教区の方では高祖大士ご尊像のお綿かけがあったり、寺内でも人事異動や役務交代といったことがあるので、来年にむかってまだまだ忙しい日が続きそうです。

ところで私達は日々の生活が忙しくなると心のゆとりがなくなるせいか、ついつい声を荒げてしまうようなことが多くなってしまうものではないでしょうか?仕事に忙殺されて職場の仲間にきついことをいってしまったり、家事や育児におわれて家族につらくあたってしまうなど、生活がドタバタしてくると、人間はどうも心が狭くなってしまうようです。

友社会の中で生きていく上には、家族とか友達とか同僚といった存在ほど有り難いものはなく、どこまでいっても人間は一人で生きていくことなどできません。

周囲の支えによって個人が生かされているわけで、そういうことを基本として考えれば、周囲に支えられている分だけ、自分も周囲を支えなければ、いつか誰からも相手にしてもらえないような状況になりかねません。

御経にはおおまか六通り「良い友」ということについて説かれてあるので、簡単にご紹介いたします。(パーリ増支部)

①人が困っている姿を見ては、親身になって助けてくれる人
②苦しい時も楽しい時も、いつも一緒に励まし合える人
③相手に良くなって欲しいという思いから、厳しいことでも惜しまずに忠言してくれる人
④人の感情を良く汲み取り、相手の立場になって同情してくれる人
⑤不真面目にならないよう注意を与え、常に正しい方へと導いてくれる人
⑥相手が秘密にしたいことを暴こうとせず、陰ながら心配してくれる人

私自身も反省しなければいけないことばかりで、自分のことのみを心配するあまり、周囲の状況が見えなくなってしまう、そんなことが多々あるように思えます。どんな理由があっても、いくら忙しくても、周囲への思いやりが失われてしまうようなら、それは単なる自分勝手ということなのかも知れません。

自己中心的な生き方をちょっとずつ改めていくところに、より大きな価値観が見いだされてくるというのが、仏道修行であるかと存じます。心のゆとりを失ってしまったばかりに、他の大事なものを見失うことがないよう、毎日の修行に いっそう励みたいと思います。

 

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高祖会のお餅つき

今年最後のお会式もいよいよ明日となりました。お寺の中も御宝前のお清めや境内の飾り付け、館内の大掃除やお会式で配布される資料作り等々、お会式前の慌ただしいムードになっており、教講一同ここぞとばかりに御奉公の功徳を積ませて頂いてます。

一昨日は、教務部でも御宝前にお供えさせて頂くお鏡餅を先輩のご指導の下、若手教務さん達が一生懸命つきました。今年の門祖会からはじまったお鏡餅つきも今回で3度目となり、まだまだ不慣れな点がありますが、徐々に要領よく御奉公もさせて頂けるようになりました。

前日から44升の餅米をとぎ、水に浸して1日置きます。朝方になって水を切り、7段重ねの特性巨大蒸し器で、3升ずつ小分けにしてせいろで蒸します。20分ほど蒸しますと一番下段のせいろが蒸し上がり、あらかじめ水のしみこんだ木臼に蒸された餅米を一気に入れます。

そして、二人がかりで餅米を練りつぶすように杵でこねます。ある程度餅米の原型がなくなると、いよいよ餅つき開始です。「よいしょ!よいしょ!!」というかけ声に合わせて、つき手と返し手が息を合わせてペッタンペッタンとつきあげていきます。つきあがったお餅を3つの型枠にはめ込み2日間寝かせると御宝前のお鏡餅の完成です。

その後、御信者さんと教務さんの食べるお餅をつきました。お餅の作り方は同じなのですが、こちらには、山芋と、お酒がたっぷり入ります。先輩曰く、こうすることでお餅の粘りけが増し、お餅に甘みが出るそうです。ただ、返し手の手がただれることは安易に想像できる事と思います。こうして御信者さんに配るお餅もでき、後片付けもして、無事にお鏡餅つきの御奉公を終えることが出来ました。

このようにお鏡餅つきは、大変な労力と気力がいるわけですが、心のこもったお供え物を御宝前にお上げさせて頂こうと汗水垂らして皆が一生懸命御奉公させて頂く。この志を乗泉寺のお祖師様はお喜びくださるのではないでしょうか。また、御奉公をさせて頂く中で自然と皆の気持ちが一つになり、親睦が深まり、信頼関係も築くことが出来ることを学ばせていただきました。

 

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法灯相続の大切さ

先日、ご回向の御奉公をさせていただいた時の話です。

弔主の方は、自営業をしているため、あまりお寺参詣ができないとのこと。御家族の方も、仕事の手伝いなどのため、お参詣、御奉公には中々顔を出されません。

弔主のお母様が、熱心な仏立信者さんであったため、弔主の方はその後を引き継いで御本尊を護持されております。

墓前でのご回向の際、弔主の方、御家族の方ともに御題目をお唱えする声がほとんど聞こえませんでしたので、ご回向の後、「お墓参りの際には、お題目をお唱えすることが一番大事ですよ」とお話をさせていただきました。

すると、お話をしたすぐ後に、弔主の方が改めてお墓に手を合わせ、大きな声で「南無妙法蓮華経」とお題目をお唱えされました。それに引き続き、御家族の方もお題目をお唱えされたのです。御題目口唱の大事をお話しても、このようにすぐさまお唱えされる方は、あまりおられませんので、有り難いことだと感じました。

その後、御供養の席にて弔主の方とお話をしたところ、幼い頃、母親と一緒に寒参詣、夏期参詣にと乗泉寺にお参りをされていたとのことで、「餅粥のご供養の味は、今でも忘れません」と仰られておりました。

なるほど、その幼い時のお寺参詣、御題目口唱の思い出があったからこそ、今回お題目をすぐさまお唱えすることができたのだと感じました。

幼いころにお唱えした御題目の種、これが心の中に植えつけられていたからこそ、素直にご信心を受け入れられたのだと思います。

やはり大切なことは、子どもさんやお孫さんに、日頃から御題目口唱の大事を教えること。そして、一緒にお参詣、一緒にお唱えすること、手を引っ張って実践させることだと感じた次第です。「いつかご信心のことは分ってくれるだろう」、「うちの子は大丈夫」このように思っていて、ご信心に対して何も伝えず、何も実践させようとしなければ、ご信心の有り難さを感じることはできません。それでは、ご信心を後になって「迷惑なこと」と感じてしまうことにもなりかねません。

日頃から、家族の方にもご信心をすすめること、それも手を引っ張って教えていくことが大事なことで、そういった意味でも、11月8日(土)、9日(日)の乗泉寺高祖会には、御家族皆さんでお参詣させていただきましょう。

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無意識の怖さ

書店

先日、ご奉公の為京都へ出張させていただきました。 京都に行く時は最寄りの駅で本を購入し、新幹線の中で読むというのが私のルーティーンで、この間もいつも通り本屋に立ち寄りました。

 

時間もあまりなかったので、目当ての本を素早く決め、レジへ向かいました。前のお客が会計を終えようとしていたので、無意識に持っていたカバンをレジの近くに陳列してある本の上に置き、カバンから財布を取り出そうとしました。

するとそれを見た店員が私に「商品の上ですので、カバンを置かないで下さい」と注意しました。私は「しまった!!」と思い慌ててカバンをそこからどけ、足早に会計を済ませ、その場をあとにしました。新幹線の中で「常識のないことをしてしまった!!」と反省しながら京都に向かったのでした。

皆さんの中にも私のように無意識に「とんでもないことをした」経験がある方もいらっしゃると思います。お互いに気をつけたいものですが、よく考えてみると、自分が無意識にした事も、他の人から見てそれが無意識にした事なのか、反対に意識的にした事なのかの区別をすることはできません。

要するに無意識にした事にも当然責任が生じるわけですから、日常の些細な言動にも注意する必要があると思います。生きていく上で「些細な事をあまり気にしすぎるのも良くない」という考え方も重要ですので「ほどほどに」気をつけながら日常生活を過ごすことが大切だと思います。

最後に、「無意識の怖さ」に気づかせてくれたのは他でもない本屋の店員の方です。注意された時は正直「イラッと」しましたが、今は感謝しております。 合掌

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徳を積もう

樹木つい先日、あるご信者さんの年忌法要のご奉公をさせていただきました。そのご供養のお席として、大変趣のある古風な割烹料理店をご用意していただいたのですが、非常に身に余るお料理の数々を頂戴し、却って申し訳なく終始恐縮をしておりました。


そのお店は明治17年創業で店構えや内装、その他お皿やお箸など小物に至るまで大変なこだわりと雰囲気を漂わせ、料理の味もさることながら、女将(4代目)と若女将(5代目)の接客や受け答えの如才なさに一同で感心し私自身も多くのことを学ばせていただきました。

特に、私と同世代であろう若女将さんの接客は見事の一言に尽きるものでした。その背景には、日頃の弛まない修練があることは間違いないでしょうが、努力を感じさせない自然な身のこなしや含蓄のある品格には、どこか彼女自身の力だけではない「何か」を感じさせました。

その若女将さんが仰っていた「ご先祖様のお蔭で」、「多くの方のお力添えを頂いて」という言葉を耳にして「ハッ!」といたしました。彼女からにじみ出ている風格や態度は、まさにご先祖から受け継く「徳」を背負っている、商売人としての「徳」が備わっているに違いないと素人ながらに感銘を受けました。

では、この「徳」とはなんぞや!ということになります。運気や才能とも違いますし、いざ考えると何となくは分かるような、でも実際は分からないようなという掴み所のないモノですが、確かにその人の身を飾り備わっているモノであろうかと思います。

辞書で調べてみますと①「生まれつき備わった能力や資質」②「精神の修養によってその身に得たすぐれた品格」などの意味があります。

このことから「徳」とは、生まれもった資質だけではなく、私たちが生活をする日常の中でも身に付け、高めることが出来る性質があると言えます。

松下電器創業者の松下幸之助氏は85歳の時、松下政経塾の塾生との対談で「徳について」次のように仰せです。

「徳を高めることは、私にとって今一番必要なことである。私が望むものは、技術でもなければ商売の手法でもなく徳の高い人間になることである。徳というものは漠然としているけれど、人間にとってこれが何よりも一番の宝である。技術も大事であるし、学問も大事であるが、徳を持たずしては学問も技術も成り立たない。徳は人間にとって一番に尊いものであるが、徳は自分で教えることも人から習うことも出来ないものである。」

何やら雲を掴むような話ですが、松下幸之助氏ご自身の様々なご経験から「徳の尊さ・重要性」を説かれている反面、自力で「徳」を身に付けることの難しさを述べておられます。

確かにどれほど技術や経済力、知力や体力が優れていたとしても、それが仕事の成功に直結するとは言えないのが現実です。即ち、この「徳」がなければ、何事に於いても成功を収めることは出来ないとも言い換えることができるのです。

生まれながら素晴らしい才能に恵まれていることは確かに大変結構なことですが、素晴らしい人とのご縁に恵まれること、人から頼られ重宝されること、自然と人が集まってくること、これらはその人の身に備わった「徳」の為せる業であります。

この「徳」は、日常生活の鍛錬や心掛けなどによって磨き高めることも出来るのでしょうが、松下幸之助氏が言うように、では「どうすれば正しく道を誤らずに「徳」を身に付けていけるのか」を端的に説明出来ない性質があります。

だからこそ、私たちは佛様がお残し下さった「徳」を積む為の直道、日々の佛道修行を徒疎かにしては勿体無いことであると言えるのではないでしょうか。

当然ながら、一朝一夕で身に付くような類いのモノではありません。佛様のみ教えに従って一日一日の佛道修行を謙虚に積み重ね、それこそ長い年月を掛けて自然と身に添っていくモノであろうかと思います。

まだまだ我が強く未熟な私ですが、僅かばかりでも他人様のお役に立てさせていただけるような僧侶としての「徳」が頂戴できますように、身体や時間を惜しまず正直に日々の信行を励ませていただきたいと願っております。

そんな「徳」についてのお話です。

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北海道団参にて

9月末に北海道の寺院へ2日間、お導師の随行御奉公をさせていただきました。台風が接近との情報もありましたが、そんな不安は全く問題なく、両日とも晴天のお計らいをいただきました。

北海道での移動は、御信者さんの車での移動となりました。その車の運転をされていた、御信者さんのお話が印象に残りましたので、紹介させていただきます。

その方は、60年以上前の10代前半の頃に、親御さんが入信されたことをきっかけに、お寺参詣をするようになったそうです。20代の頃結婚をされ、奥さんにもご信心を勧めましたが、なかなか良い返事がもらえなかったとのことでした。

そんな時、ご本人が勤務されていた会社が倒産し、職を失ってしまいました。何とかお計らいで乗り越えたいと決定され、それからお線香100本の御祈願をされたところ、すぐさまお計らいをいただき、再就職をされたとのことでした。

その現証を御覧になられた奥さんが、ご信心をされるようになられ、それから毎日1万遍以上の御看経を、奥さんがされるようになったとのこと。さらに、特別な御祈願がある時には、夜通し掛けて御題目を唱え続け、3日間での100本祈願を何回もされたとのことでした。

その奥さんは、10年ほど前に他界されましたが、ご本人は退職後の現在も、毎日一万遍の口唱を欠かさないとのことでした。

そのようなお話をお伺いして、信心第一で毎日を生活されている方の強い思いに感銘を受けました。また、必ず現証御利益がいただけるご信心の有難さを再認識するとともに、現証を見せることによって、他の人にも必ずご信心が沸き起こるのだと強く感じた次第です。

信心第一、口唱第一がいかに大事なことなのか、あらためて感じた次第です。

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非常停止ボタン

先日、電車でお寺に帰ろうとしたときの事です。JR新宿駅で、電車が少し発車した途端、急ブレーキが掛かり、私も乗客の人達も倒れてしまいそうでした。

teisi何だ?何だ?と周りが騒いでいると「ホームの緊急停止ボタンが押されたためしばらくお待ちください」、とのアナウンスが流れました。

私は事故か何かかと思い、少々心配でしたが10分程電車は止まって、周りもザワつきはじめた時、「いたずらでした、皆様には大変ご迷惑をお掛け致しました」というアナウンスが流れ、それを聞いた半数ほどの人達はイライラしておりました。

私はそれほど急いでいなかったので、電車が動いて良かったぐらいに思っていましたが、私も何か用事があり、急いでいたらどう思っただろうか? 一人の行動によって大勢の人達に迷惑を掛けてしまう、特に電車の場合は大変なことになると思います。

私も日頃、ご奉公で周りのご信者さんや先輩方にご迷惑をお掛けしてしまう時があります。そう考えると今回のことも決して他人事ではないなと思いました。日々のご奉公でも、自分の行動が周りの人の迷惑になってしまう事があるかもしれません。

ご奉公させていただいても、周りが嫌がることや、迷惑なことにならないかをよく考えて、気を引き締めてご奉公させていただきたいと、考えだした今日この頃でございます。

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教えられないこと

どんなにすぐれた教えを頂いても、それを本気で受けとることができない人は、「犬に論語」、「猫に小判」と同然です。先生や親御さんがいくら一所懸命でも、生徒や子どもに教わる熱意がなければ、どうしようもない場合も多くあります。

だいたい先生や親御さんだって神様や仏様ではないのですから、一から十まで何でも指導してくれるはずもありませんし、どうしたって教えにくいことだってあるはずです。何とも言い表しようのない微妙なこと。言葉にすると誤解を与えかねないこと。立場上言いにくいことなど。相手の状況に照らし合わせて、時期尚早と判断されることもあります。

そもそも日本では昔から「教えない文化」というモノがありました。例えば職人の世界などでは、師匠の元に弟子入りしたら、最初は下働きの雑用しかさせてもらえません。そういう丁稚奉公を数年経て、言いつけを素直に守れるようになってから、ようやく責任のある仕事を任されてくる。

それでも技術的なことは簡単に教えてもらえず、何度も怒られながら身体で仕事を覚えさせられたわけです。そうやって、自分の至らないところをいつも突きつけられていたら、自ずと用心深く、ひかえめで、つつしみ敬う心が育まれてくるはずです。

ご信心でも同様に、言葉で教えられることと、教えにくいことがあります。御法様に対するお敬いの気持ちとか、ひかえめで謙虚な心とか、周囲に対する気配りなどは、ご信心ご奉公をさせて頂く中で、ちょっとずつ身につけていく素養です。これらのことは自分自身で感得して頂かないと、どんなに説明しても心から納得されるものではありません。

ですから、普段から一緒にご奉公させて頂く仲間の中でも、御宝前に対するお敬いにかけているとか、ちょっと横暴で出しゃばりが目立つとか、不注意な言動が余りにも多い人などには、キッチリそれはダメだとお折伏をさせて頂く。我々の言葉でお折伏ができなくても、ちょっと御看経が足りないんじゃないの、もっと御法様におすがりしてみればと、仏様のお力で相手をよくしていくのが、仏立の信心なのです。

そうやって、何度もお折伏を受けていくうちに、自分の身体で御宝前の大事さを覚えていくことで、私たちの心の中に謙虚、慎重、誠実、敬畏というすぐれた美徳が備わるものです。

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修学塾研修旅行に参加して

10月7日、8日、千葉方面への研修旅行に参加しました。

先ず朝ご飯は、乗泉寺内に設置してある自動販売機のホットドッグを食べました。
(マーマーおいしい)
そしてお昼は、鴨川海岸にあるレストランでお刺身定食が出ました。
(般若湯が格別にうまい)

昼食後は鯛ノ浦・誕生寺・清澄寺を見学しました。久々に旭が森に上りましたが、景色がとても良く感動。

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お祖師様の立教開宗の地は麻綿原とも云われていますが、当寺の長老に聞きますと、東条影信の配下にあった旭が森の地ではなく、道善坊に逃がされて麻綿原でお祖師様は立教開宗(朝日に向かって御題目を唱えた)されたのではと言う説です。

 

修学塾でも何回か麻綿原で御題目を唱えた事がありました。まーお祖師様の時代と大分地形も変わっているようですから、どこが本当の立教開宗の所かより、お祖師様の御本意を私達信者は忘れてならないのです。

夕飯は鴨川館でアワビのステーキ、朝はアジの干物でご飯2杯、お昼はドイツ村でバーべキューを食べ無事に帰山いたしました。ありがとうございました。

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世田谷別院掲示板③

ありがとうございます。
世田谷別院正門横の掲示板に掲示した文面を紹介させて頂きます。

③ 「人は、笑うから幸せになる。」

誰でも、幸福を実感している時には笑いが出てくるものですから、確かに幸せな人は笑うことができると言えるでしょう。しかし逆に、私には幸福感が無いので笑えない、と常に思っている人は、いつになったら幸せになれるのでしょうか。

そう考えますと、自分が幸せになってから笑うのではなく、むしろ反対に、いつも明るく笑いながら暮らしていくことが、実は幸福の道を歩む近道なのだと言えるでしょう。

本門佛立宗の寺院では、ご信者さん方が毎日、明るい声で御題目を唱え、和やかに笑いながら語り合っています。どうぞあなたも、お寺へお参りなさって、笑いの絶えない幸せな日々をお送り下さい。

【10月1日より掲示中】
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漬け物のはなし

漬け物みなさんはお漬物はお好きですか?私は茄子漬けや味噌漬け、べったら漬けなどが好きです。

漬け物の名称は、「こうこう(香々)」、「おこうこう(御香々)」、「こうのもの(香の物)」などともいい、香(こう)は味噌のことを指し、これらの言葉は本来は漬物一般を指す言葉でしたが、関西を中心に現在は全国的にも、ばら沢庵漬けを指すことが多いそうです。

また、「しんこう(新香)」、「おしんこう(御新香)」、「おしんこ」という言葉は、かつて新鮮な野菜の色を失わない浅漬けの物を指す言葉でしたが、近年ではこちらも沢庵漬けを指すことが多いそうです。漬物で一番ポピュラーなものは沢庵漬けなのでしょうか。

漬物は発酵により、酸味が強くなる場合もあります。乳酸菌による発酵は素材に酸味を主体とした味や香りの変化を与えるとともに、腐敗や微生物の繁殖を抑えて、食品の長期保存を可能にしているそうです。

野菜や豆、米や麦などの植物素材を発酵させた乳酸菌のことを植物性乳酸菌といい、酸に強く、生きたまま腸に届くため、現在注目を浴びています。植物性乳酸菌は、腸まで届くプロバイオティクス食品であり、腸内生存率が動物性乳酸菌の十倍であるといわれています。

また、植物性乳酸菌の効果として、免疫活性作用、発ガン物質の排出・分解、便秘・下痢の解消、病原菌感染の予防などがあげられています。

自分の好きな素材を様々な漬け方で漬けて美味しくいただいて、身体に良いお漬物。何だかお腹が空いてきました。みなさんはいかがでしょうか。

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名人に学ぶ

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『百才になっても碁を打っている。
二百才になったら宇宙で碁を打っている』・・・

昭和最強の囲碁棋士呉清源九段の言葉である。今も頭の中の碁盤現役そのもの。御歳100才を迎えている。囲碁界で百寿を祝う棋士は初めてという。

 

散々やったからもういい。もう歳だからいい。天才棋士からはそんな姿は見えない。むしろ、佛様がおっしゃられている『生々死々』生まれかわり死にかわりを自ら体現されている。いつまでも囲碁を打っているという気概がみられる。死んだらおしまい、苦しいから死んだ方がマシ、そんな気弱な考えを持ち合わせている人もいるが、呉氏は違う。

私共の人生は、この世に生を受けたこの時期だけでなく、過去、現在、未来と三世に亘っていることを、この棋士は肌で感じているのである。素晴らしいことである。

人と生まれてい、そして老いて死んでいく身は皆同じだが、受け取り方、こし方によって、その人の人生は素晴らしく輝いている。かけがえのない人生、お互いはそんな受け取り方、こし方をして進めたら、こんな素晴らしい一生はありません。ありがとうございます。

御教歌
生れ来て 死ぬる習ひは おなじ世に われ法華経に あひにけるかな

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