相手の過ちを見たときは

相手が罪障(ざいしょう)になるようなことをしているのを見ても、その行為に対して当たり障りの無いことばかりを言っていたら、それは相手を見放すのと同じで、無慈悲な行為と申せます。

例えば、お店に行ったときに、友人が商品を万引きしている場面に遭遇したとき、皆さんならどのように対応するでしょうか?

そのまま見て見ぬ振りをしたり「お金がないなら仕方ないね」等と、その行為を認めるような事を相手に言ったりする人はいないはずでございます。

「万引き」という罪を犯した友人は、警察に捕まってその罪を償うことになりますから、どんなに相手が望んでいることでも、それが誤っている場合は「やめなさい」と言って止めるのが本当の慈悲なのでございます。

ご信心でも同様で、自分の子どもが信行相続をしたがらないからと、「神社のお守りは持っていても良いから、佛立信心をしなさい」等と言うのでは、相手は功徳を積めず、却って罪障を積んでしまい、幸せの道から遠ざかる事になってしまうのでございます。

また、他のご信者さんが謗法を犯している場合でも、相手に反発されて憎まれるのが怖いと思ったり、退転したらどうしようと、当たり障りのない事ばかりを言う事も、無慈悲というものでございますから、しっかりと相手の過ちを言って伝えてあげることが大切でございます。

御教歌

折伏も当らぬ様にする時は やはり無慈悲の随他意となる


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