当たり前?

私は現在、京都にある佛立教育専門学校に通いながら、本山で御奉公させていただいております。毎朝、おハタキや掃除機などで、私どもはお給仕をさせていただいておりますが、先日、私はいつものように本堂内の雑巾がけの御奉公をさせていただいておりました。

あるご信者さんの横を雑巾がけして通りかかったところ、その方が丁寧に深々と頭を下げられ、私に「いつも雑巾がけ、ありがとうございます。」と、言ってくださいました。私は嬉しくなり、雑巾がけの御奉公をさせていただけることに有り難さを感じ、また心を込めてしっかりとさせていただかなくては、とも反省いたしました。

そんな気持ちにさせていただいた「ありがとうございます」という、たった一言の言葉の力の大きさ。私も同じように感謝の気持ちを表していかなくてはと思いました。

昨年の夏、本山で行われた青少年の一座で、参加者の方々にアンケートをとったものを見せていただく機会がありました。アンケートの項目の中で、「ご信心のイヤなところは?」という質問があり、二十代女性のご信者さんは、「御奉公して当たり前というような空気」と答えていました。

二代目、三代目、四代目というお教務やご信者が増えてきていますが、物心がついた頃からご信心をしておりますと、御奉公させていただけることを「当たり前」に感じてしまうところがあるものです。初代のご信者や宗外者の気持ちを考えず、そうした方々に対して、「当たり前」の気持ちを押しつけてしまえば、なかなか育成やお教化のご奉公はうまくいかないものだと思います。特に現代では、ご信者であっても、御奉公されない方の比率が高くなってきております。

御奉公とは一体なんのためにさせていただいているのか。御奉公はしてやっているという自分本位なものではなく、仏様のお使いとしてさせていただいている。そして、我が幸せのもととなる功徳を積ませていただいている。させていただけることが有り難いこと。そうした思いをもっと強くして、日々の御奉公に感謝の気持ちをもって励ませていただかなくてはと、改めて感じた次第です。

学校も3月に卒業の予定で、本山での御奉公も残りわずかとなってきました。本山の御宝前にお給仕させていただける、我が身に喜びを感じ、最後まで精一杯御奉公させていただきたいと思います。また、陰で御奉公されている本山のご信者さん達に、ありがとうございますと感謝の気持ちを伝えていきたいと思います。

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