どんな時でもあきらめず

今年93歳になられるSさんはお寺参詣を楽しみにされ、木曜の午後には自主的に教化成就のための祈願口唱を、本堂で一時間なさいます。

また帰りには霊堂のお掃除をされ、ご自宅の御宝前のお給仕も欠かすことがなく、八十代のご家内とともに、ご夫婦でご信心に励まれています。

そんなSさんですが、昨年九月に腎盂炎を患い、また十一月には肺炎と診断され、高齢でもあることから医師には「親戚を集めて最後のお別れをするように」と宣告されてしまいましたa。しかしその月に予定していたご自宅での甲お講を何としても奉修したいとの思いから、病室の棚の引き出しに懐中御本尊をお伴し、ベットの上でお看経に励まれました。

そうしたところ、入院一週間目には真っ白になっていた肺がもとどおりになり、甲御講もご家内や部内のご信者の協力を得て、見事に努めることが出来ました。

またこのほかにも還付金詐欺の被害をまぬがれるなど、多くのご利益をいただかれました。日頃ご法門で聴聞する通り、教化の願いを前面に出し、どんな時でも前向きにあきらめないSさんのご信心前が身を結んだものと感得しました。

私たちは少し具合が悪くなるとつい気弱になり、もうこれ以上はできないと自分を抑えてしまうことがあります。しかしどのような状況でも御利益がいただけるよう仏様がのこして下されたのが、上行所伝の御題目なのです。この御題目をもっと大切にし丁寧にお唱えしなくては、と改めて思いました。

彼岸花

秋のお彼岸も終わり、そろそろ肌寒くなってまいりました。

つい先ごろまで、ふと足元を見ると彼岸花が咲いていました。

この花は別名死人花、地獄花などと呼ばれ、あまり良い印象をもたれないイメージがあります。

なぜかというと、球根に毒を持ち、赤く伸びるその形も、炎を連想させ、地獄の亡者が手を伸ばした形を思わせるからだとか。

しかし、またの名を曼珠沙華(まんじゅしゃげ)といい、法華経の序品第一には「曼荼羅 (まんだら)曼珠沙華を雨(ふ)らして 栴檀(せんだん)の香風(こうふう) 衆の心を悦可(えっか)す」とあり、仏様が御教えを説かれる前の奇瑞(さまざまな不思議な現象)のひとつとして、この花が天上から降り注いだと記されています。

埼玉県の巾着田という所には、この花が群生している公園があり、とても幻想的で美しいと伺いました。

このように考えますと、世の中でなぜか嫌われているものにも、実は隠された価値や、まだまだ知らない魅力があるかもしれません。

人の心もまた同じ。一見取っつきにくい人、自分と合わなそうな人もよくよく付き合ってみれば、素晴らしい資質の持ち主かもしれず、その出会いが自分を変えてくれるかもしれません。

連日、犯罪や事件が新聞をにぎわす世知辛い世の中ですが、人を信じる心だけは失いたくないものですね。174890091_eb4b3cf933